ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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明
明

誰にでも出来るのに誰もしないでいる、本当はコワい日常観察日記。

ここ数日の間に、奇妙な体験をしているので、そのことを今日の日記に綴る。

 

昨日も一昨日も、野生の鳥に、手の届くような近距離まで近付いても、まったく逃げないのである。

 

小鳥だけに限らず、いつもだったら視界に入っただけでも逃げだすような巨大な白鷺たちまでもが、今、目の前にあるパソコンのモニタほどの距離まで近付いても、まったく逃げないのである。

 

逃げないのは鳥だけではない。

 

すぐ逃げがちなウシガエルも逃げないし、カナヘビも逃げない。カナヘビにいたっては触ってもしばらく逃げないでキョトンとした顔をしている。

 

しかし、いままではあまり吠えられたことのないような散歩中の飼い犬や、犬小屋につながれている飼い犬に、なぜか激しく吠えられるようになった。

 

野生動物が逃げる逃げないに関係ない話だが、昨日見た、空を飛んでいるトンボの一群の体の造形に違和感があった。トンボの背中に、恐竜の背中にあるのと同じようなおかしな突起物が生えているのである。あんなトンボは初めて見るような気がする。

 

これはどういうことなんだろうなあと、この数日真剣に考えていて、何かの力の覚醒あるいは覚醒の前触れなんじゃないのか、と密かに思っている。

 

もしくはこれらの出来事は、なにもここ数日にはじまったことではないのかもしれない。

 

奇妙な出来事というのは、日常に溢れている。でも多くの人々は、それを認識せずに暮らしている。認識しても勝手にありふれたことだ自己解釈してしまい、無意識的に排除して、見て見ぬふりをしているように思う。

 

今日、道端に猫が横たわっていた。行きと帰りに二度目にしたのだが、激しい車通りのある道路脇に、日光浴でもするかのように静かに横たわっていた。近付くと口から血を流していて、死んでいるように見えた。つまり行きにその姿を目撃した際にぼくは、その猫は車に轢かれて死んでいるのだと思ったのである。どこかに連絡したほうがいいのかなあとも思ったが、急いでいたのでそのまま放置してしまった。

 

用事が終わって帰り際、同じ道にはやはり同じ猫が横たわっていて、前から歩いてくるおばさんがその猫を見て覗き込んで、ビクンと体を震わせて「あっ、死んでるのか!」と声を上げてそのまま通り過ぎていった。ぼくはその光景を見ていて、ほんとうに猫は死んでいるのかどうか疑わしくなった。なぜなら口から血のような赤い液体を流してはいるけれども、車に轢かれたにしてはすごくきれいな体をしていることに気が付いたからである。

 

色々なシチュエーションが考えられる。

 

猫はもしかしたら、一人遊びとして死んだふりをしているのではないだろうか?

 

何かの儀式として、そこに死んだように横たわっているだけで、やはり生きているのではないだろうか?口から出ている赤い液体は、儀式に使うための薬物かなにかではないだろうか?

 

もし死んでいるとしても、車に轢かれたのではなく、何か違う要因で死んだのではないだろうか?

 

横たわっているのは本当の猫ではなく、精巧なぬいぐるみではないだろうか?ではそのぬいぐるみは何のためにそこに置かれているのだろうか?

 

動物の死体だと仮定して、本当に猫だったのだろうか?

 

ぼくは今日、本当に道端で猫が横たわっているのを見たのだろうか?

 

果たしてぼくは今日、家から外出したのだろうか?

 

今ふと部屋の片隅に目を向けると、先ほど道端に横になっていた猫が、ぼくの部屋の中で横たわっている。

 

あれ、持って帰ってきたんだっけ?

 

猫を殺したのは、ぼくだったのではないだろうか?

 

よくよくいろんなことを考え直してみると、日常は明らかに異常で奇妙なことの連続で成り立っている。

 

もしこの雑多で無意味な日記を読んでいる物好きで奇特な方がいるなばら、今すぐに、こっそり気付かれないようにして、チラッと自分の足元を確認して頂きたい。誰に気付かれないようにするのかは、残念ながらここには書けないが、気付かれてはいけない。

 

こっそり、チラッと、足元を確認していただきたい。

 

何かが、足元にいるはずである。

 

誰にでもできるのに誰もしないでいる、本当はコワい日常観察日記。

 

 

 

 

月白貉