ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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きみのために“魚料理”を作って待ってるよ、マレーシアのディック・チュア監督が紡ぐ愛の物語『血魚 The Bloody Fish』。

あなたが今までに鑑賞した映画作品の中で最も多いのは、どこの国で製作された映画だろうか?

 

ぼくは生粋の日本人だけれど、観ている映画の数で言えば圧倒的にアメリカ映画が多いと思う。

 

そしてかつては香港映画とか中国映画とかもけっこう観ていたし、まあ今でも気になった作品は見るけど、あとはフランス映画とかロシア映画とかもたまに観るし、なんだったら北欧の国々の映画も観たりするし、でも昨今の日本映画は他国の映画作品に比べたらほとんど観ていないに等しいような気がする。

 

そして、反対にあまり観たことのない国の作品もある。

 

例えばインドとか東南アジアとか、アフリカとか、中近東とか、けっこうたくさんある。

 

日本だとやはりアメリカ映画の影響とか勢力が圧倒的に強いので、映画というとアメリカ映画のスタイルを思い浮かべがちだし、そういう先入観で見知らぬ他国の映画を観たりすると、良かれ悪かれけっこうなカルチャーショックを受けたりすることがある。例えばその国の文化的な側面を知らずに観ると、まったく意味不明だったりすることもあると思う。

 

だから例えばかつての黒澤明の作品とか、小津安二郎の作品とか、海外の名だたる監督が随分リスペクトしているけれど、あのリスペクトの中には、海外から見た日本という文化の根底にある理解不能な異質感みたいなものが確実にあるのではないかと思う。もちろん黒澤作品にしても小津作品にしても、日本人であるぼくが観ても素晴らしいんだけれど、それとはちょっと違った感覚も含まれているはずだと思う。

 

というわけで、そんな前置きがありつつ今回取り上げるのは、ぼくはほぼ観たことがないと言える国の短編作品である。

 

マレーシアの映画監督ディック・チュア(Dick Chua)の『血魚 The Bloody Fish』というもの。

 

血魚 The Bloody Fish

image source : 【血魚 The Bloody Fish】

 

ちなみにこの監督は自国でコミュニケーション・デザインを学んだ後にカナダのバンクーバーにある映画学校に留学していたようなので、欧米の映画の影響は随分受けているようだし、作品の中にもその影は色濃く滲み出ている。

 

劇中でとある有名なアメリカ映画の映像が使われているあたりなんて、正にな影響だと思う。もちろんマレーシアでだってアメリカ映画のシェアは圧倒的に大きいだろうからね。ただそれとは別の影の部分として、日本人のぼくからすると良い意味での異質感が漂っていて、すごく興味をそそられた。

 

というわけで、もし興味のある方はぜひご覧いただきたい。

 

愛する人のために心を込めて料理を作る男の物語である。

 

 

 

 

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