ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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その恐怖はカタチを変えて具現化する、心に闇を抱えた少女を描く短編作品『SORICE』。

今日鑑賞した短編作品に、こんな言葉が出てきた。

 

「Fear is the reality you create」

 

“恐怖”とは自分自身が創り出す現実である、つまり現実の恐怖というものは、自らの恐怖心が現実世界にまさに恐怖という“モノ”として出現した姿だということ、もしくは恐怖という心の闇は具現化するということかもしれない。

 

そう言われてみると、個人的には思い当たるフシもある。

 

片や、かつてウィリアム・シェイクスピアは、『マクベス』の中でこう書いている。

 

「Present fears. Are less than horrible imaginings.」

 

目前の恐怖も、恐ろしい想像に比べれば大したことはないという意味である、つまり現実的に身に降りかかる恐怖よりも、自らが頭のなかで想像する恐怖の方がよっぽど怖ろしいということ。

 

確かにそれもある意味ではもっともなことで、実際にぼく自身もそういった恐怖は日常的によく感じる。そして同様の表現や描写は映画や文学の中でも多く見ることが出来る。例えば村上春樹の作品中ではよく、本当の痛みよりも想像する痛みのほうがよっぽど耐え難いというような表現をよく目にする気がする。もちろん、シェイクスピアが言っていることとほぼ同じ内容だと思う。

 

けれど前述の言葉からすれば、実際の、現実的な恐怖は時として自らの想像力が生み出したもの、現実世界に出現したものだと。つまりその場合の目前の恐怖は、想像の恐怖と同等かそれ以上の恐ろしさを持っている可能性があるということになりはしないのだろうか。

 

というわけで、鑑賞後にそんなことを思った短編作品を取り上げたい。

 

オランダの映画監督アンジェロ・ホワイト(Angelo White)が手掛けた『SORICE』という作品である。

 

SORICE

image source : SORICE (2017) on Vimeo

 

タイトルになっている「SORICE」という言葉の意味はいまいちよくわからないのだが、造語なのか、何かの神の名前なのか、トガリネズミに関係したものなのか、あるいはぼくが劇中でうっかりヒントを見逃しているのか・・・。

 

物語は簡潔に言うと、心に闇を抱えた少女の過去と現在。

 

というわけで、とても短い作品だけれど、個人的にはなかなか興味深く鑑賞できたので、もし興味のある方はぜひご覧いただきたい。ザック・スナイダーの『エンジェル・ウォーズ』(Sucker Punch)の影響が多分に見受けられるような気がしなくもないけれどね・・・。

 

 

 

 

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