ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ヒーローはいつだって、自分の光を見失わない日記。

キンキンに冷えた布団の中にひとりもぐりこんで、いつも思うことがある。

 

眠くなって布団にもぐりこんで、そこがすでにほかほかならどんなに心地よいだろう。でも、それじゃあつまらないだろうと。そこから自分の熱であたためるから、いいんじゃないか。その間にどれだけのことを空想しながら眠りに落ちるだろうか。それがなによりか、心地よいということ。

 

あいも変わらず、暖房器具のない生活をしている。まあ寒いは寒い。なかなかの寒さだ。でも死ぬことはない。なんだったらこの時期に半ズボンだ。酒を飲めば身体が温まるし、布団にくるまれば朝まで暖かく眠ることが出来る。快適な生活というのは、文明に依存する生活ではない。自分を甘やかすものじゃあないのだ。もっと原始的な生活だと思う。どちらかと言えば、立ち向かう生活だと思う。公共施設の多くに、膨大な電力を使った暖房が使われているが、あんなもの必要ないでしょ。冬はどこにいこうが寒いんだよ。

 

与謝野晶子の歌を読んだ。君死にたまふことなかれ。

 

気分転換に書店で井伏鱒二の「山椒魚」をいっきに読む。「山椒魚は悲しんだ。」

 

むかし、ぼくの師匠のひとりが言っていた。「ぼくの奥さんは仕事柄帰りが遅くなることが多いんです。でも帰りがどんなに遅くなっても、彼女を待ってから夕食を共にします。ぼくにとって食事の時間とは、そういう風に大切なことなんです。」って。

 

いままでもずいぶん大変な思いはしてきた。意味不明な修羅場をくぐり抜けてきた。理不尽で気違いじみた状況に立たされ、なんども心が折れ曲がって息ができなくなることもあった。でもたとえ心が折れ曲がろうとも、息ができなくとも、自分の眼差しを失うことはなかった。いまでもそうだ。負けないってそういうことだと思う。そういう側面において、ぼくは母と、そして母方の祖父の背中を見て育った。ふたりとも負けない人だった。ふたりとも眼差しを持たぬ人々から見れば、多くのそういう人々から見れば、ずいぶんクレイジーだったかもしれない。けれどふたりとも、特に祖父は、正義でも悪でもないカテゴリーの、なにかヒーロー的な要素を色濃く持っている人だった。敵もものすごく多かったが、味方も多かったに違いない。ぼくが二人から受け継いだそういう要素は、ある意味では、とけることのない呪いだと思っているし、ある意味では、二人からのかけがいのない贈り物だと、そう思っている。

 

ヒーローはいつだって、自分の光を見失わない日記。

 

負けないよ、おやすみなさい。

 

 

 

以下には、恐い日記もあるよ。

 

恐怖日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。

恐怖日記クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。

恐怖日記風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。 

恐怖日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。

 


月白貉