ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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吸血鬼は杭が苦手だが、悔いは得意である日記。

とある本を読んでいたら、巻末の参考資料に吸血鬼に関する団体一覧が載っていた。

 

吸血鬼は杭が苦手だが、悔いは得意である日記。

 

吸血鬼の情報交換をしているところもあるらしい、情報掲載拒否のところもあると書かれている、興味深い。

 

日本にはないんだろうか?

 

ミッキー・ロークが主演している『レスラー』(The Wrestler)を観る。ずっと気になっていたが、きょうやっと観ることができた。そしていま観るべき映画だったような気がする。自分の求めているもの、自分がどうやって生きてゆくのかは、結局自分が決めることだ。よい映画だと思う。エンディングもよかった。よい映画はエンディングで決まると言っても過言ではない。

 

ギレルモ・デル・トロの『パシフィック・リム』(Pacific Rim)を観て、小津安二郎の『東京物語』を久しぶりに観て、荻上直子の『トイレット』を観る。『パシフィック・リム』が予想に反してなかなかよい映画だった。この映画の直前に彼はラヴクラフトの『狂気の山脈』の映画化に抜擢されるが、実現せずに終わっている・・・、残念だなあ、ぜひ作って欲しいなあ。『狂気の山脈』はずいぶん若い頃に読んで衝撃を受けた。ジョン・カーペンターの例の南極の映画は、ずいぶん狂気の山脈色が色濃いなあと昔から思っていたが、原作は違う作品。ジョン・カーペンターは何気にラヴクラフトベースの映画をたくさん作っているが、ラヴクラフトについてはあまり言及していない気がする。そういうところがよい。

 

そういえば最近の映画の予告編がまったくひどい。重要なシーンを全部出してしまう。地味なシーンを垣間見せつつ、すっごい面白そうな映画だと思わせるのが予告編の役割だろう。最近の予告編のクオリティ低すぎる。だから今後は昔のように、映画は直感で選んで観る。

 

ウォン・カーウァイの『グランド・マスター』(The Grandmaste)を観る。ウォン・カーウァイの映画はちょっと観るのを避けていた。ずいぶん昔にはじめて観た彼の映画が肌に合わなかったからかもしれない。そういうことは往々にしてある。でもおもしろかった。カンフー映画が好きなので、ちょっと味見程度で観てみたが、なかなかどうしてよい映画だった。まあ若干甘く切ない映画だけれどね、悪くない。

 

「悔いのない人生なんて、味気ないわ」と、劇中で言っていた、ほんとそうだね。

 

何時間もぶっ通しでDVDを観ていたら、目が潰れた。気分転換に雪女でも探しにゆくか。

 

眠い。

 

眠りはたいせつ。眠っている時間が、ほんとうは生きている時間であり、何かを生み出している時間なんじゃないだろうか。窓の外で風が唸っている。さて、そろそろ本当の世界にゆこう。

 

おやすみなさい。

 

 

 

以下には、恐い日記もあるよ。

 

恐怖日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。

恐怖日記クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。

恐怖日記風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。 

恐怖日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。

 


月白貉