ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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太陽のカエルになった南の静かな青年と、4人の魔女が支配する世界日記。

夢の果てまでも。

 

大抵のことは、なんとかなると思っていれば、なんとかなる。なんとかなると思うことが、たいせつさ。

 

寝ようと思ったら、部屋の壁にゲジゲジがいたので、しばし格闘。眠気が覚め、夜空をあおぐ。まあそういうことが、日々というものだ。

 

眠いんだか眠くないんだかわからなくなり、呪文をとなえる。

 

オープン・セサミ。

 

太陽のカエルになった南の静かな青年と、4人の魔女が支配する世界日記。

 

墓地の下にある岩壁に人工的な穴がたくさん空いていた。行ってみたくて10分ほど悩むが、草むらの鬱蒼具合と、蜘蛛の巣の尋常じゃない数を考慮してやめることに。

 

あれは地下墓所かな・・・、行かなくてよかったのかも。

 

昔、モリアオガエルの群生地にそうと知らずに迷い込んで、大量の鳴き声に驚いたことを思い出した。『もののけ姫』のコダマのシーンそのものだった。ちょっと恐怖を感じた。あれは確実に妖怪の部類だよ。よくよく考えると、ぼくはずいぶん妖怪にあっている。

 

やあ、べる、久しぶり。きみに話しかけるのはほんとうに久しぶりだね。

 

きみに出会ったのは、確か13年くらい前かな。いまでもよく覚えている。残念ながら、きみに自慢できるような13年間ではなかった気がします。出会ってからしばらくして、きみは夢見ていた太陽に飛んでいってしまったけれど、ぼくはまだ地球にいるよ。でも最近東京を離れて、見知らぬ土地にきたんだ。きみほどじゃないけれど、あの頃よりは、ぼくはいろんなところに飛んでゆくことができるようになった。ほんとうについ最近だけれどね。

 

いつかきみのように、もっともっと高く高く、そして自由に飛び回れるようになりたいなあって思う。もうちょっと時間がかかるかもしれないけれど、いつかきっとそうなれる気がします。

 

ではまた。

 

地球のべるより。

 

p.s.太陽での暮らしは、どうですか?もし術があるなら、ぼくにも長い手紙を書いて送ってください。心から待っています。

 

べるという名前は、あるかえるに由来している。ずっと昔にぼくが考えた小さな小さな物語の主人公。

 

ある都会のど真ん中、四方をコンクリートで固められた真四角な溜池に暮らすそのかえるは、溜池から道路を挟んで向かいに建つ古い教会の、定刻を知らせる鐘の音がとても大好きでした。毎日毎日変わることなく続くあたりまえの小さな出来事は、小さくて緑色をしたかえるの心と体をずっとふるわせ続けました。そしてある日こう思うのです。

 

「自分にべるという名前を付けてみんなに教えよう。」

 

どんな時でも、あのベルみたいに、自分が誰かの心と体に静かに響き渡る存在でいたいと、そう思ったからです。そしてそう思ったその日から、べるの日々はとても素敵なものへと変化してゆくのです。だからぼくも、かえるのべるから名前をもらいました。今思えば、ぼくのことをべるって呼んでくれるようになった人は、みんな素敵な人ばかりでした。だからもっともっと世界に素敵な人が増えますように。

 

まったく別のある物語の中にも、べるという人物が出てくる。サウスエリアに暮らす、反政府メンバーのひとり。

 

カラーと呼ばれる特殊能力を持つ四人の魔女が支配する世界の話だ。

 

いまぼくはどこにいるんだろう?

 

おやすみなさい。

 

 

 


月白貉