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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

アンゴルモアの大王は神か悪魔か、あるいは逃走中の川立男か日記。

日記

セミが嫌いな理由は、血を吸われそうになったからです。

 

 

人型のもの、人形とかお面とかには、いろいろなものが入りやすいって知り合いが言っていた。いろいろなものってなんだろう。

 

 

ブレーメンの音楽隊なカフェオレと、吉田戦車の逃避めし。ここ数日、心が暗闇に落ちてしまって生きていける気がしないので、滅多にひとりではしない「外出して茶をしばく」の巻。

 

どんなに楽天的なぼくだって、底なしの暗闇暗黒アンゴルモアの大王はいつだってすぐそばにいるのです。

 

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元気出せよ、おれよ。

 

 

神々は愚か者の味方だ。気が狂う。

 

 

「兵部に約束せしお忘なよ川立男氏は菅原」

 

 

ときどき、東京が恋しくなる。

 

都会がいいとかってことじゃなくて、長く暮らした場所だからだ。ずいぶん長く暮らしたから。そしていろんなことがあったから。

 

年をおうごとに、過去の記憶が水晶みたいにキラキラと輝き出す。思い出の良し悪しじゃなくて、記憶としてのひとかたまりが光を帯びて、ぐるぐると頭の中で回転しだす。

 

さいきん、ちょっと迷子になっちゃった気がする。迷子って、かなしいのさ。

 

 

何かを求めたいと思ったときに、だれに求めるのか、どこに求めるのか、どうやって求めるのか、いろいろ考えるけれど、そんなことで頭を悩ますくらいなら、求めなくていいよなってことに気付いたりする。

 

そりゃいろいろ求めたいことやら、求めるべきことやらあるだろうけれど、求める前にやることがあるよな。自分の思いをちゃんと考えて、その思いを生きたらいいと思うよ。それは誰かにはわからないことだものなあ。

 

 

付き合いだしてから27年くらいたつ友だちからメールが届いた。

 

言葉少なく、元気ですか?と書いてあった。彼とはずいぶん一緒に酒を飲み、ずいぶん酔っ払ってケンカをして、ずいぶん笑ったり怒ったりしたもんだ。気兼ねなく酒が飲める数少ない友だちと遠く離れてしまったことは、ずいぶん悲しいなあと、ふと思った。

 

そう、酒の醍醐味はまず、誰と飲むかってことだ。肴も大切だし、空間も大切だし、もちろん酒も大切だけれど、ともに盃を交わす相手も、ずいぶん大切だと、しみじみ思う真夜中過ぎなのである。

 

 

いまこの刹那、いろんなことがバカみたいだと思う。

 

もちろん、ぼくもそこには含まれているわけで、バカみたいないまの世界の中でバカみたいな要素として、残念ながらプスプスと生きているわけだけれど。

 

きょう調べごとをしていたら、最終的にある写本のことに行き着いた。巨大な悪魔の絵が描かれた現存する中世期最大の写本。完成まで20年を要しただろうと推測されるという。一冊の本を完成させるために20年をかけるのだ。

 

知識とはなんだろうか。たとえば日々インターネット上で垂れ流されている膨大な情報らしきものを知識吸収するとして、それが嘘か真かは別の問題だとしても、自らの健全な知識として吸収すべきものだろうか。多くは意図しない吸収であって気分が悪い。吐き気さえする。ネット上で知り得る情報はストレスに過ぎる。

 

自分が知りたいことだけをもっと深く知りたい。その他のことは、いまぼくは知りたくなんかない。いま自ら知りたいと思うことだけを追い求め、探し求めるだけでいいじゃないか。そういうことが大切でしょ。

 

おやすみなさい。

 

 

 


月白貉

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