ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ドラゴンクエストに出てくるリモコン下駄を、ライ麦畑でつかまえて日記。

繰り返す同じような毎日を、どうやって過ごそうかと考えて、規則正しい日々の、ところどころを、あるいは大幅にぶち壊してみたりする。そうすると、同じような毎日のなかに隠れているものが見えることがあるのさ。

 

そういうことが好き。

 

そしてそういう時に、ぼくは生きてるんだなあと思うことがある。

 

 

信仰の地に行くために、昔の人はひたすら歩いたはずだ。なんでいまは歩かないんだろう。そんなふうだからさ、価値もご利益もなんにもなくなるんだ。

 

多くの人が言ったりやったり思ったりしている「あたりまえ」を、ぼくはまず疑う。

 

そんなことがあたりまえな世界なんて、なんてつまらないんだろうと思うから。

 

 

ぼくにはぼくの生き方がある。

 

いろんなことに惑わされていても仕方がない。先に進もう。今までだって、そうだったじゃないか。

 

きょう、小さな光を見つけた。まずはその光が、ほんとうの光なのかを、ちゃんと確かめにゆく。

 

いつだって、はじまりはそこからだ。

 

 

コバエが毎日毎日、部屋に一匹ずついる。

 

たくさんはいない。一匹いる。一匹殺すと、新手が来る。なんだ、完全入れ替え制か。

 

いろいろな意味で徐々に強いやつが投入されている気がする。組織からの刺客か。

 

 

猫パンチくらって出血。ふにゃ(´Д`)

 

 

古本屋に『ゲゲゲの鬼太郎』が三冊置いてあったので、うっかり買ってしまう。

 

ドラゴンクエストに出てくるリモコン下駄を、ライ麦畑でつかまえて日記。

 

全巻初版で持っているんだけれど、ついうっかり買ってしまう。

 

『陰謀のセオリー』というアメリが映画で、洗脳されたあげくに記憶を消された特殊工作員が、本屋で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を見かけると必ず欲しくなって買ってしまうという洗脳を受けている。

 

あれだな。ぜったいあれだ。

 

世界は陰謀に満ちあふれている。

 

ちなみにここだけの極秘情報だが、ぼくは高校生の頃に宇宙人にさらわれて、足に何か埋め込まれてます。

 

その時だなきっと。

 

 

ドラクエには、雨をやませる呪文ってなかったなあ。あればいいのに。

 

とりあえずレミーラ

 

 

押入れを開けたら、正体のわからん虫が奥へと逃げていった。

 

そういうことが、すごく恐怖だったりする。

 

モルグ街の殺人。

 

 

部屋の中にいると、外から聞こえてくるその音が、雨の音なのか、風の音なのか、それとも木々がこすれ合う音なのか、まったく見当もつかない。確かめようとしてカーテンをあけるが、そこには暗闇が広がっているだけで、なんの音なのかなんてことは、まるでわからない。耳を澄ませば澄ますほど、まったくわからなくなる。

 

だからきっと、そんなことは、どうでもいいことなんだ。

 

おやすみなさい。

 

 

 


月白貉