一般の食パンとチンピラの食パン、どちらに愛があるのか日記。
お味噌汁の味見したら、下唇火傷した。
デヴィット・リンチの『砂の惑星』に出てくる、参謀のおっさんみたいなことになってる。やだなあ。
ごはん作ってると、なんだかんだで時を忘れる。
いまあるもので生きてゆこう。欲しいものを無駄に追い求めたこともあるけれど、そしていまでも欲しいものはたくさんあるけれど、なかったらなかったでべつによいよな。大いにメディアを排除してから、欲しいものは減った。
根源的に欲しいものは、いまでも強力にほしいけれどもさ。
いずれ戦わずともよくなる日が来る。なんもいらないよなって日がくれば、それが楽園だとおもう。
きのう食パンを買ったら、チンピラみたいなやつがひとり入ってた。
カレーをつけて食べた。
チンピラって、何かの略かな。
「チンしてピラフあたためて食べるのよ。」の略な予感。冷蔵庫に貼ってあるメモ。
朝起きたらエアコンがついていた。つけた覚えが全くないし、設定も変わっている。何かの電波の関係で勝手に起動したのか。あるいは記憶障害か。まあなんにしても無駄な電気を使っちゃった。静かなる暴走か。
朝早く起きてカーテンを開ける。ガラス窓の奥の網戸に一匹の小さな小さなゾウムシが蠢く。網戸を上へ上へとのぼりながら、時折細かい編み目をくぐり抜けようとしている。
けれどくぐり抜けることが出来ない。
何度も何度もくぐり抜けようとするが、くぐり抜けることは出来ない。その光景にひきつけられて、しばらくゾウムシを凝視していると、目がおかしくなった。ぐるぐると回って、痛みと混乱を生じた。それでも、もっともっと見ていたかった。もしなんの予定もなければ、日がな一日見ていたかった。
夕方家に帰ってくると、ゾウムシの姿はなかった。
きみは何かをくぐり抜けたのかね?あるいはきみはあきらめて何処かへ去ったのかね?いずれにせよ、ぼくの目を狂わせたきみの姿は、なかなかのものだったと思うよ。
渦巻きのような朝の記憶。
ラブレターっていうものが、あるらしい。
ラブレターっていうカタカナの綴り、改めてみると変な模様。プレデターはしっくりくるのに、おかしいね。だからもっとラブレターを書こう。
へんな模様のラブレターを。
ラブレター、書いていますか?
自分で言うのもなんなのだけれど、ぼくはすごく、いろんな変化に敏感である。
人々の微妙な表情や仕草で、ぼくに対する接し方が、何かの出来事を切っ掛けに変わったのだなってことが、顕著にわかってしまう。よい方向で変わる分には、涙を流して喜ぶのだが、わるい方向で言うならば、そういうことって、瞬間的にはすごく傷つく。そしてよい方向で変わることよりは、別な方向のスジがほとんどのような気がする。でも長年の経験から、わるいスジは、適当に流すことにしている。そこでぼくがダメージをくらう筋合いはないもの。
流すことには長けているし、邪悪な気に対して、強力なバリアをはる術も心得ている。けれども、出来うる限り、ぼく自身は誰かに対して誠実でありたいと思っているし、そうつとめている。もちろん可能な限りというレベルではある。
そしてたぶんそれは、誠実とは何かという話なのだけれど。
おやすみなさい。
月白貉