いまでもぼくは、まだ人間のままでいる。
「この情景、いまでも覚えている。六年くらい前のある日に、断片的にぼくはこんなことをつぶやいていたんだ。」
今日の昼休み、ぼくは久しぶりに仕事場の近くの神社に足を運んだ。初夏のような、いくぶん小さくて柔らかい日差しと、少しかすんで流れてゆく古い綿みたいな長い雲と短い雲が、はっきり感じられた。
そして、もわっと鼻を突く新しい草の匂い。それは神社の方から匂ってくる気がした。境内の、土ぼこりに汚れた広いベンチに座り、弁当箱の蓋を開いて、米とかサツマイモとかヒジキとかぬか漬けとか、口一杯に含んで、もぐもぐと噛み締めて、少し遠くの空を見上げて、ゆっくり飲み込んで。
頭の上の大きな木の木漏れ日が、ぼくの手や足や、弁当箱や、米やサツマイモやヒジキを照らして。
目の前では、二人連れ立った老人が伊勢神宮の話をしていて。
その先のオオイチョウの老木の前では、その二人よりもっと背中が曲がって、もっと白髪で、たぶんもっと年を取った老人が、デジタルカメラを片手に立ち止まって、オオイチョウを見上げていて。
もっと年を取った老人は、「はあ、そうか、はあ、そうか、ああ、そういうことか」と、オオイチョウと本当に真剣に言葉を交わしているように見えた。そして最後に、オオイチョウの顔の当たりにカメラのレンズを向けて、いちどだけシャッターをきると、静かにどこかに消えてしまった。
いつもは風の侵入を頑に拒んでるように思えた境内には、緑色をして緑色の匂いをして緑色の味を含んだ風が、両手をいっぱいに広げて、呪術的な舞を踊るシャーマンみたいな顔をして、たくさんたたずんでいて。そのシャーマンみたいな顔は、みんな笑顔に歪んでいて、少し恐ろしくて。時々、そのたくさんの緑色の風が、手をつないでぼくの周囲をまわりはじめて。とても軽やかにまわっているのに、それはスローモーションみたいに見えて、やはりまたそれが恐ろしくて。ひとりの風がぼくの頬を触ると、ほかの風もみんな、その真似をしてぼくの頬を触れてゆく。
緑の風の輪に混じっていたら、もう戻って来れなくなっていたんだろうなあ。でもまあ、まだその輪に混じれるほど、ぼくはたくさんのことを知らないから、仲間には入れてもらえないだろう。
そして、それまではずっと、ひとりぼっちなのかもしれない。
抜け落ちた 殻と竜巻 深緑
月白貉