ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ドイツ語でさようならって、どんなふうに言えばいいですか?

大学の時に、必修として外国語を選択しなければならず、いまさら得意だった英語を取っても仕方ないかと、今思えば意味不明にトチ狂ったぼくは、なぜかドイツ語を取ってしまった。

 

専攻以外の勉強にはほとんど興味がなかったぼくは、語学についてはまったく勉強しなかったので、いまでもグーテン・モルゲンとかダンケ・シューくらいしかわからないし、たしか単位を落として取りなおしたんだったなあ。

 

そもそも、なんでわざわざ大学まで進学して学びたくもないことを学ばなきゃいけないようなシステムになっているのかが、甚だ疑問だった。

 

でも、そんなドイツ語の授業で、ひとりの先生がある日話したことだけ、何故か今でもずっと覚えている。

 

「きみたちは恋をしていますか?だれかとお付き合いをしていますか?もしいまそうでないなら、誰かを好きになりなさい。そしてだれかをちゃんと愛して、あるいは愛されて、いっしょに時を過ごしなさい。そうしなければわからないことが、たくさんあります。そういうことをないがしろにする人がいるけれども、そんなことは必要ないと言う人がいるけれど、ぼくはそうは思いません。愛する人と時を過ごすことで、多くのことを知ります。ずっとひとりでなんかいちゃ、きっとずっと、なにもわかりはしませんよ。」

 

そういう話を、ある日の授業の前半を使って、その先生はずいぶん長く話していた記憶がある。ちなみにその先生は50代後半くらいの男性で、専門は哲学だと言っていた。その話の中で先生は、生徒の中のひとりの女の子に、「きみはいま恋人はいますか?」と聞いていた。その女の子は、「いえ、いません・・・」とちょっと言いにくそうに答えていたけれど、先生はすごい自然な驚き顔で、「なんだぁ、きみみたいな人がそんなことじゃあもったいない、恋をしなさい。」と言っていたのをよく覚えている。

 

当時ぼくにはお付き合いしているひとなんかいなったし、だから、そっかあって思って、たぶんその話を、憧れみたいなものも混じり合って、すごく真剣に聞いていたのかもしれないなあ。だから、いまでも覚えているのかもしれない。

 

でも、単位は落とした。

 

だってさあ、そのドイツ語の授業の試験は普通にドイツ語の文法に関するもので、恋とか愛とかの問題は出てこなかったんだもんなあ。

 

でももし、まったくドイツ語とか関係なく、「あなたの恋愛論を2,000文字以内で自由に述べなさい。」っていう小論文形式の試験だったとしても、その当時恋愛にはまったく無縁だったぼくには書けなかったかもしれない。好きな人はいたけれど、まったく相手にされていなかったし、それを熱く語ったおかしな変態ストーカー論みたいなことになって、結局は単位を落としていたかもしれないなあ。

 

まあいまさら、過去のあの日々は、どうあがいても変えられないのさ。

 

そう言えば、村上春樹の『ノルウェイの森』は、ハンブルク空港から始まる。

 

ドイツ語でさようならって、どんなふうに言えばいいですか?

 

だいじょうぶです、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから。(It's all right now, thank you. I only felt lonely, you know.)

 

あの場にいたドイツ人のスチュワーデスが言っていたように、そういうこと、ぼくにも時々ある。だからよくわかる。

 

決して変わることのない昨日は忘れて、よい明日を。

 

アウフ・ヴィーダーゼン

 

Norwegian Wood (Vintage International)

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月白貉