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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

サルにも目撃されている、本当はコワい道化師のような男の話。

それは、もう何年も前のある土曜日のことだったと記憶している。

 

私が自宅の庭に面した八畳の部屋で胡座をかいて、珈琲をすすりながら文庫本の古い推理小説を読んでいると、妻のトモコが娘のミサキの手を引いて部屋に入ってきた。私はその気配に気付いて二人の方に振り返り、何気なくミサキの顔を見上げる。するとミサキは目の下にエジプトの壁画のような模様の涙の跡を付けていて、口がずいぶんとへの字に曲がっていた。

 

「ねえ、ちょっと聞いてよ・・・。」

 

トモコが不安そうな声で、私のボンヤリとした頭の中をゆっくりとかき混ぜ始める。

 

「どうしたの?」

 

「じつはちょっと今、買い物の帰りにおかしなことがあって、警察に連絡したほうがいいんじゃないかと思うんだけど・・・。」

 

「何があったの?」

 

「小雀公園の入口の脇に小さな噴水があるでしょ、あそこにね、顔を真っ白く塗った大道芸人みたいな男がいてさあ、なんだかたくさん風船を持ってて、あのヘリウムが入ってる、プカプカ浮かんでるやつを持っててね、」

 

「うん。」

 

ミサキが畳の上にストンと座って両手で耳を塞いでしまった。

 

「何かの宣伝かなんかで、大道芸人がなんかやってるのかなあと思いつつ、でもちょっと雰囲気が、なんていうか気味が悪かったのね。だから無視してその横を通り過ぎようとしたんだけど、ミサキが風船がほしいって言い出したからさ、」

 

「うん。」

 

「どうしようか迷ったんだけど、そのやり取りはたぶんその男にも聞こえてたはずだし、その男もこっちを見ててさ、手を振ったり手招きしたりしてるから・・・、それでその男に風船がもらえるのかどうか聞いてみようと思って近付いたら、向こうもこっちに近付いてきてね、ミサキに風船を手渡そうとしたのよ。」

 

「うん。」

 

「でね、その男がね、沢山風船の糸を握ってる反対の方の手でさ、糸を一本だけ抜き取るような真似をして、でも一本も抜き取ってないのよ、あるじゃない、あの〜、パントマイムみたいな風にして、何も持っていな手をミサキに差し出したのよ。ミサキもよくわからなかったんだろうけど、その手に合わせて男の方に手を差し出したらさ・・・、急にミサキが痛いっ!って叫んだのよ・・・。」

 

私は耳を塞いだまま固まって畳を睨みつけているミサキの顔を見ながら、だまって話を聞いていた。

 

「そしたら、急にその男が跪いてミサキの手をベロって舐めてさ・・・、そして狂ったみたいに、やけに高い声で笑いだして、すぐに立ち上がって私の方に気持ち悪い笑顔を浮かべてさ、そのまま公園の奥の雑木林の中に走って行っちゃって・・・。それで、ミサキは大声を上げて泣き出しちゃってるし、あたしも訳が分からなくて混乱しちゃったし驚いちゃって、どうしたのって聞いたら、手を刺されたっていうのよ・・・。」

 

「えっ!ちょっと、大丈夫だったのっ?」

 

「うん・・・、すぐに手を見たんだけど、刃物とかじゃないと思うんだけど、たぶん針みたいなものだと思うんだけど・・・、掌からプチっていうくらいの血が出てて、すぐに血は止まったし、傷もほとんど無いようなもんなんだけど、でも怖くなっちゃって・・・、」

 

「ちょっと、ミサキ、手を見せてみな。」

 

私がそう言って立ち上がってミサキの方に近付くと、耳は塞いでいても二人のやり取りは聞こえているらしく、耳から片方の手だけを離して私の方にその手を差し出した。私はミサキのすぐ前に腰を下ろして胡座をかくと、その小さな手を取って顔に近づけ、掌を隅から隅まで舐めるようにして調べてみた。するとたしかにその中央あたりにプチっと針で刺したような傷跡が残っていたが、もう血は出てはおらず、半分ほどは治りかけているような状態だった。

 

「う〜ん・・・、傷は大したことないと思うけど、イタズラにしてもなあ、ちょっとそれはやりすぎだろ、念のため警察に連絡しといた方がいいだろうなあ。」

 

「そうよねえ、なんだか恐いもんねえ。ちょっと雰囲気が怖かったのよ、顔が真っ白だし、ずっと笑ってるような化粧をしてるし、頭に真っ赤なモジャモジャのカツラかぶって、青と黄色のヒラヒラしたおかしな衣装を着てるしさ・・・。」

 

「ピエロの格好ってことだろ?」

 

John Wayne Gacy art 2

 

「うん、ただちょっと雰囲気がさ・・・、ピエロってあんなに不気味だったっけ・・・。」

 

私はすぐに110番に電話をかけ、妻から聞いた一部始終を電話の向こうの警察官に説明した。

 

「わかりました、ではですね、すぐにこちらで現場を確認しますし、もし問題がなければご自宅の方まで事情をお聞きしに行こうと思いますので、ご住所をお聞かせ願えませんでしょうか。」

 

私はその警察官に自宅の住所と自分の携帯電話の番号を伝えて、「よろしくお願いします。」と言って電話を切った。

 

三十分ほどしてから玄関のインターホンのチャイムが鳴り、二人の警察官が自宅に事情聴取に訪れた。玄関の外に立つ二人の警察官の後ろにはパトカーが停められていた。

 

彼らの話によると、小雀公園に向かった別の警察官からの連絡では、園内にも雑木林の中にも、そしてその周辺にも、トモコが話していたようなピエロの扮装をした男の姿は見当たらなかったということで、ただ実際にミサキが針のようなもので刺されたということから、引き続き近隣での聞き込みなども含めて捜査を開始する方針だと言っていた。

 

「場合によっては、お手数なんですが、一度娘さんもご一緒に署までご足労願うことになるかも知れませんが、そのときはまた電話でご連絡させていただきますので、ご協力よろしくお願いいたします。」

 

そう言い残して、二人の警察官は帰っていった。

 

次の日の朝八時頃だっただろうか、ベッドに横になって微睡んでいた私の耳に、「ちょっと、マサっ!早くっ、早く起きてきてっ!!!」という、トモコの叫び声が響いてきた。何事かと思ってベッドから飛び起きた私がリビングのトモコのもとに駆けつけると、トモコはミサキの頭をギュッと守るようにして抱きかかえていて、私にテレビを観るように目配せをしている。テレビではどうやらニュース番組が流れているようだったのだが、私は次の瞬間、その番組の中でアナウンサーが伝えている内容を聞いて、悪夢にも似た吐き気を覚えた。

 

「・・・続報が入ってきましたので、再び先程の事件についてお伝えします。今日午前五時頃、〇〇市〇〇区にある小雀公園の雑木林で犬の散歩をしていた男性から、女の子が血だらけになって倒れているとの通報があり警察が駆けつけたところ、近所に住む小学生の西田カナちゃん七歳が、右腕を刃物のようなもので切断されて死亡しているのが発見されました。警察はこれを受けて、地域の住民に警戒を呼びかけるとともに、殺人事件とみて捜査を開始しました。犯人についての情報ですが、昨日現場となっている公園では、ピエロのような格好をした不審な男の目撃情報が相次いでおり、警察はその男の行方を追っていますが、依然として足取りは掴めていません。また同じ日に、ピエロのような格好の男に小学生の女の子が針のようなもので手を刺されたとの110番通報があったことが判明していますが、今回の事件との関連については判明していないということです。また警察では・・・、」

 

トモコが唐突にテレビの電源を切った。

 

「まさか・・・、昨日のあの男がやったのかな・・・。」 

 

「わからないけれど・・・、でも・・・、」

 

私はその時ふと、死んだ祖母から聞かされたある事件のことを思い出していた。祖母がまだ若い頃、この地域で子供が相次いで不審な男に首や手を噛みつかれるという事件が発生したことがあったらしい。幸いなことに被害にあったどの子供も大した怪我には至らずに済んだということだったが、結局犯人は捕まらず、そのまま迷宮入りしてしまったという。ただ、被害にあった子供たちの証言や目撃情報によれば、犯人は道化師のような格好をした男だったそうだと、祖母は言っていた。

 

「昔に、ずいぶん昔に一度だけねえ、まだ婆ちゃんが子供の時分に、このあたりに見世物小屋が出たことがあって、婆ちゃんも父親に連れられて見に行ったけれど、その時にねえ、顔を真っ白く塗って、目の周りとか口の周りが真っ赤な色をした道化がいて、ずっと押し黙ったまま笑ってて、子供たちにやたらと手を振ったり手招きしたり、あとは近付いてきて体に触ったりしてさあ、婆ちゃん、あれがおっかなくてしょうがなかったこと、今でもよく覚えてるよ。だから事件があったときには、その時はもう子供じゃなかったけどさあ、道化が出たって聞いて、もうおっかなくてさあ・・・。」

 

当時、その道化師のような格好をした犯人の男が、子供の手や首を噛むことから、あれは血を吸っているのではないかという話が持ち上がったらしい。

 

結局、私とトモコとミサキは、公園で起きた事件のことで警察に呼ばれて再び事情聴取を受けたのだが、特にこれと言って、最初に話したこと以外には何も話すことはなかった。

 

その後、その周辺で同じような手口の事件が発生することはなかったのだが、犯人の手がかりはまったく掴めず、事件は未解決のままとなっているということだった。

 

あの出来事が起きてから、もうずいぶんと時間が過ぎ去っているが、私もトモコもミサキも、それ以来一度も小雀公園には足を踏み入れてはいないし、その周辺に近付くこともなくなった。今ではトモコは、あの時のことが現実だったのかさえもよく覚えていないと言うが、あれからずいぶんと成長したミサキがある日、私にこんなことを言ったことがある。

 

「ねえ、パパ。」

 

「ん、なんだい?」

 

「あのピエロがね、あの時、私の顔の前で小さく囁いた言葉が、今でも頭から離れないの・・・。」

 

「へえ、そんな話初めて聞くよ・・・、ママには話したのかい?」

 

「ううん、ママに言ったら、きっと怖がるから・・・。」

 

「なんて言ったの・・・、ピエロは?」

 

「もう覚えたから、忘れないよ。って・・・。」

 

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月白貉