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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

真夜中の台所に、あのイヤな虫が出た時の対処法。

小説 小説-短編

「ねえ浅野さん、先週、ネットで見たっていう神社の話、したじゃないですか。」

 

「ああ、言ってたね、なんかあの、絵馬が云々ってやつでしょ。」

 

「はいはい、それです、実は、ぼく週末に、あそこ行ってきたんですよっ!」

 

職場の、特に後輩というわけではないのだが、私が今年転職して新しく勤めだした広告制作会社に在籍している若いデザイナーで、私と仕事を組むことになった小野くんから聞いた話を、私は今でも鮮明に覚えている。

 

その日は朝からどんよりとした湿気の強い薄曇りで、午前中の間はずっと偏頭痛に悩まされていたのだが、午後になると薄い雲の隙間から青空が覗きはじめ、私の偏頭痛もそれにリンクしているかのようにして、回復の兆しを見せた。昼に自分の席でパソコンに向かいながら弁当を食べていると、向かいの席に座る小野くんが今日の夜飲みに行きませんかというので、特にこれといって予定もなかった私は、その誘いに快諾した。

 

「行動力あるなあ、だってあそこ、日帰りで行けるの?」

 

「はい、まったく問題なく日帰りで行けますよっ!」

 

「へ〜、で、どうだったの、あの時言ってた、絵馬だっけ、神社に奉納されている絵馬の話をしてたじゃない、あれ、どうだったの?」

 

小野くんはさっき注文したばかりの生ビールのジョッキをとんでもないスピードで一息に飲み干し、テーブルに届いた揚げたての鶏の唐揚げにレモンをかけながら、追加の生ビールを注文している。

 

「それがねえ浅野さん、聞いてくださいよ、まったくです、まったくなくなってたんですよ・・・。」

 

「あら・・・、ネットの写真だと、ずい分昔のものからずっと、山ほど掛けてあるって言ってたよね。」

 

小野くんが先週私に話してくれたのは、とある山の上に祀られている、昔から縁切りにご利益があるとして有名な神社の話だった。ただその神社はいつの頃からかわからないが、縁切りだけでなく、その相手を不幸にしたり、あるいは罰を与えるような願いが叶う神社だという噂が立ち始め、そしてそういったやや歪んだ目的の為に、全国から多くの人が訪れるようになったという。そのことを何かの本で知った彼がインターネットを使ってその神社のことを調べていると、とある誰かのウェブログの記事に突き当たり、そこにはその神社に奉納されている絵馬の写真と、その内容に関することが書かれていたという。

 

「そうなんですよ、で、もう一度そのブログの記事見てみようと思って、帰ってきてから見たんですけど・・・、なぜか記事が消されちゃっててもうなくなってたんですよ、その写真とかも。」

 

「へ〜、なんでだろうね、なんか内容に問題でもあったんじゃないの。だって、小野くんの話だと個人情報的なものも書いてあったわけでしょ、その絵馬には。」

 

「う〜ん・・・、でも一応、写真は加工されてて、危なそうな、例えば名前なんかにはボカシがかけてあったんですけどねえ、文章にもそういう情報は書いてなかったし・・・。それにその記事って、書いてあったのはけっこう真面目なことで、その神社の縁起だったりとか歴史だったりとかだったんですよ、で、その流れで、まあその絵馬のことなんかも・・・。」

 

私は冷奴をつまみながら苦笑いをして、日本酒の入ったぐい呑みを傾けた。

 

「でもせっかく行ったのにねえ、まあ残念ってことはないかもしれないけど、それを見る目的で行ったんだったら、あまり意味が無かなったねえ。」

 

すると小野くんが、こちらにスマートフォンの画面を差し出して、悪巧みを考えだした悪のヒーローみたいな顔を私に向けた。

 

「でもねえ、これ見てください。実は、絵馬なんかよりもずっとスゴイもの、神社の裏で見つけちゃったんですよ、ほらこれっ!」

 

そこには竹林を背景にして、こんもりとした盛り土のようなものが写っていて、その盛り土の中央には洞窟のように大きな穴が空いている。見ようによっては土で作られたカマクラのようにも見えた。小野くんが、「この中にですねえ、」といって指で写真をスライドさせると、今度はその盛り土の穴の中を撮影したものらしく、その暗がりの中に大きな瓶か壷のようなものが置かれている写真だった。そしてその瓶だか壷だかの周囲には古びた油紙のようなものが貼り付けられていて、見たこともないような複雑な漢字の羅列がお経のようにして記されていた。

 

「これは、なに?」

 

「これねえ、中身見たら、」

 

「ちょ、ちょっとまって、中身見たのかよっ!そんなことしてだいじょぶなのっ?」

 

「いやまあ・・・、あんまりよろしくないですけど、木の蓋が上にポンって置いて閉じてあるだけだったんで、すぐ開いちゃったんですよ。」

 

「え〜・・・、よく開けるなあ、そんなもん・・・。おれだったら絶対無理だよ、なんか気味が悪いだろ、そんな神社の壷とかさあ・・・。」

 

「ですよね〜、まあぼくもちょっと躊躇はしたんですけど、目的のものが見られなかったんで・・・つい。それで、それでですね、これが中の様子なんですけど、」

 

そう言って、小野くんが再び新たな写真をスライドさせようとしたので、私は慌ててそれを制止した。

 

「いやいやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って、中身の写真でしょっ、それっ、それはちょっと見なくていいわっ、見たくないわっ。」

 

小野くんが「え〜・・・。」と言いながらスマートフォンを自分の手元に戻して、ひどく悲しそうな顔を浮かべた。

 

「じゃあさあ、まず口で言ってみて、何の写真なのか聞いてから、それから見るかどうか判断するから・・・。」

 

「ほんとですか〜・・・、じゃあ、なにが写ってるかって言うと、見たことのない虫が一匹、中にいるのが、写ってるんですよっ!」

 

「虫・・・?それだけ・・・?」

 

「いや、それと、その虫がたぶん食べたであろう、他の虫とかの食べカスがありましたっ!」

 

「壷の中に、虫が住みついてたってこと・・・、それがなにかすごいの?」

 

小野くんの表情が再び悪のヒーロー顔になり、何故か突然内緒話でもするかのようにして声を押し殺し始めたので、私もそれにつられて小声になってしまう。

 

「浅野さん、これ、蠱毒ですよ、おそらく。」

 

「なに、こどくって、なにそれ?」

 

「昔、古代中国で使われていたっていう呪術です。まあ、それが日本にも伝来してきてたらしいんですけど。こういう壷の中に、たくさんの虫とか蛇とか蛙とか、そういう生き物を入れて蓋を閉じておくと、中でそいつらが殺しあって相手を食べ始めるんですよ。それで一定期間放っておくと、中に一匹だけ生き残る奴がいるんですよ、最強のやつが。その生き残ったやつから抽出した毒とか、もしくはそれ自体を使って、狙った相手を呪ったり、まあ呪い殺したりするっていうやつなんですよ・・・。」

 

「なにそれ・・・、こわっ・・・、なんでそんなのが、神社の裏にあるの・・・。」

 

「わかりませんけど、なんかそういう謂れのある神社だから、もしかしたら誰かがそこで・・・っていうやつです。そんなわけなんで、浅野さん、写真見てくださいよ!」

 

「いやいやいやっ、いい・・・、いいよ・・・、見なくていいよ・・・。」

 

「なんでですか〜、なんで見ないんですか・・・、なかなか見られませんよ、こんなの、たぶん。」

 

小野くんは、その後も冗談を言うようにしてその神社での出来事を笑いながら話していたが、何か時々私を見つめるその目だけが、普段よりもずいぶんとドンヨリしているような気がしてならなかった。

 

その後、私と小野くんは店を出て駅に向かい、それぞれ別の路線の電車に乗り込むために、駅の改札口で挨拶を交わして別れた。

 

私が自宅のマンションに帰り着いたのは、もう夜中の十二時を少し回った頃だった。妻はまだ起きていて、ただそれは私の帰りを待っていてくれたのではなく、先週レンタル店で借りてきた吸血鬼を題材にした海外ドラマの続きを観ていたからなのだが、私は妻に声をかけてから、妻のいるダイニングキッチンのテーブルの上にジャケットだけを脱ぎ捨てて、すぐに浴室に向かってシャワーを浴びていた。

 

真夜中の台所に、あのイヤな虫が出た時の対処法。

 

するとしばらくして、キッチンの方から妻の悲鳴のような声があがったので、驚いた私が慌ててバスタオルを手にして裸のままキッチンに駆けてゆくと、妻が大振りの肉切り包丁を両手で握って立ち尽くしていて、その包丁の先がおかしな紫色をしたインクのようなものでベットリと濡れていた。妻が浴室から飛び出してきた私に向かって、「それっ、それ見てっ、それっ!」と言って目で何かを指し示しているので、私がその方向に目を向けると、先ほどジャケットを置いたテーブルの上で、大きなサソリのような見たことのない虫が、包丁についているのと同じ紫色の液体にまみれてもがき苦しんでいた。

 

「なっ・・・、なんだよこれはっ!!!」

 

「わかんないよっ!まだ動いてるから殺してっ!はやくっ!はやくっ!!!」

 

私は咄嗟にキッチンの流し台の所に掛けてあったトングを手に取り、そのトングでメキメキメキと禍々しく蠢いている虫を恐る恐る掴み上げると、妻に「火をつけてっ!コンロの火をっ!!!はやくはやくっ!」と、あまりの恐怖から声を荒げてしまう。その間にも、虫はトングから這い出そうとして必死にもがいている。

 

妻が私の背中を伝いながらガスコンロの前まで行ってスイッチをひねった瞬間、私はガスコンロからボワッと激しく立ち上った炎の上で、その虫を焼いた。

 

虫は、赤と青と白が交じり合って揺れ動く激しい炎で焼かれている間中、突然変異の鈴虫だか蟋蟀だかが泣き叫ぶような、ギイギギギィギイギギギィという吐き気のするような気味の悪い声をあげ続けていた。しばらくすると、炎の熱がトングに急激に伝わってきたため、私は「あつっ!!!」と言ってトングから手を離してしまい、トングごとその虫をガスコンロの上に落としてしまう。すると、その黒焦げになった虫が、ガスコンロから立ち上る炎の中心で、何か小さな惑星が弾けでもするようにして、パッという小さな音を立てて、真っ黒い粉か灰のようになってしまった。

 

妻は私の横で魂でも抜けたようにして、その場にしゃがみこんでいた。

 

次の日会社に行くと、定時を過ぎても小野くんが姿を現さなかった。小野くんの直接の上司には何の連絡も入っていないということで、しばらくしてから私は小野くんの携帯電話に電話をかけてみたのだが、電源が入っていないか電波の届かない所にいるというメッセージが流れるだけで、彼とは一向に連絡が取れなかった。そして結局その日、小野くんは会社には出社してこなかった。

 

翌日、私が出社するとすぐに、私の席に人事部の部長とデザイン部の部長が駆け寄ってきた。

 

「浅野さん、警察の方がお見えになっているんですが、ちょっと今いいですか・・・?」

 

警察の話によれば、昨日の午前一時頃、小野くんのアパートが火事になり、彼が部屋から遺体で発見されたということだった。火元はどうやら彼の部屋だということだったが、まだ原因がよくわかっていないという。そして警察はその前日の彼の様子などを調べるために、事情聴取にやってきたということだった。私は、その前日に仕事の後で彼と酒を飲みに行ったことを話し、特におかしな様子はなかったと思うとだけ、警察には話しておいた。それ以上、何か彼のことに関して話すべきことがあるとは思えなかった。

 

警察の事情聴取を終えて、部長二人と話すために会議室に戻った私はふと、あの夜、小野くんの撮影したという壷の中の写真には、一体どんな虫が写っていたのだろうかと、窓の外をぼんやりと眺めながら、そんなことを思っていた。

 

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月白貉