ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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人間が理解出来ることと出来ないこと、あるいは望む夢幻と望まない現実の話。

「まずねえ、細かいことをどうこう説明する前にだよ、まず一番目の話だけれど、私が何をしにここまでわざわざ来たのかを言うよ、いいかい、あの裏山の穴を、閉じにいく。たったそれだけのことだよ、シンプルでいいだろ。そしてねえ、そんなことはセコさん、あんたもわかってるはずだからねえ。」

 

「そ、そうですね・・・、はい・・・。理解するかしないかとかは別として・・・、ぼくも・・・、それをやりに来たんだと、思ってました・・・。」

 

「はっはっはっ、だろ、話が早くて結構だね。理解なんてものはねえ、後から追いついてくるわよ、だって結局それは、あんたが望むか望まないかってことだからねえ。で、その次だよ、セコさん、あんたも私と一緒に行かなくちゃいけないことになったよ。あと、ナツミさんもだ。これが二番目の話だよ。これもずいぶんシンプルだろ。」

 

「えっ・・・、いや、ちょっと、・・・、それはちょっとシンプルじゃない気が・・・、なんでぼくとナツミも行かなくちゃいけないんですかっ?」

 

 

ラゴの体からは依然として何か、もちろんはっきり目に見える種類のものではないのかも知れないが、真っ黒い霧だか塵のようなものがモワモワと噴き出しているようにぼくには感じられて、彼女の体の周りを漂っているというか、覆っているような気がした。そしてテーブルに置かれたふたつの湯のみが何故かひとりでにカタカタと揺れていた。それはぼくなりラゴなりがテーブルを揺らしているというわけではなく、湯のみ自体が何かに怯えでもするように、ブルブルと身を震わせているような光景だった。

 

「あの日に、あの時に、私がヒトガタを使って穴を閉じに行った時だよ、あんたとナツミさんもあの場所に一緒にいただろ。そしてアレをその目で見て、あの空気を感じただろ。あの時あの場所はもう、あれはもう穴の中も同じになってたんだよ。そしてねえ、あんたとナツミさんは、あのヤミゴラにリンクしちゃったんだよ。つまり繋がりが出来て、その身に小さなヤミゴラの種みたいなものが出来てしまった。放っておけばそれはいずれ次第に広がり始めて、そこに本格的なヤミゴラが開いちゃうのさ。」

 

ぼくは無意識に、右掌で左の腕を握りしめていた。

 

「それは・・・、ぼくやナツミの体の中にってことですか・・・?」

 

「その仕組は、私にもよくわからない。ただおそらくは、人は単なる切っ掛けの道具に使われているに過ぎないというのが、私の考えだがね。古くは、とは言ってもヤミゴラ云々の記憶からしたら、つい最近はと言ったほうが正しいかもしれないけれど、そういう道具としての役割を担っていたのが、まあわかりやすく言えば神職者や巫女のような人々だよ。穴の空いている場所の多くはねえ、今では神社や寺社のある場所がほとんどなんだ。つまりはああいう場所は、そのもっと昔には聖地と呼ばれていて、何かの目的で人々が集い、祈りを捧げたりなんやかんやとした場所だわね。」

 

ぼくは何も言わずに何度か頷いた。

 

「ただそれは、遥か昔の人たちがそこで祈りを捧げていたわけではないんだよ。その場所にあるヤミゴラを見つけて、それを封じていたんだ、穴を閉じていたんだよ。祈りとは少々わけが違うのさ。そこは危険なものを封じた場所だよ。忌み嫌われた場所だ、近付いてはいけない場所だったはずだ。けれどねえ、その言い伝えがみるみる風化してゆき、闇封じとでも言える特殊な儀礼が行われたその場所は、何も聖地なんてものではなくて、黒々とした災の根源なんだってことが忘れ去られてしまった。もちろんそういう場所には大きな力があるだろう。そういうものを感じ取れる人なら、その力を火を見るよりも明らかに感じるだろう。ただしだ、それがいいものなのか、悪しきものなのかってことはねえ、その力が大きすぎてなかなか、人なんかにわかりゃしないのさ。ましてやねえ、そのヤミゴラには意志のようなものがあって、騙すわけさ、人を騙すんだよ。再び穴を開けるように仕向けるわけさ。そんなことは、向こうにしたら赤子の手を捻るよりも簡単なことだろうからねえ。そしてまあ、歴史でみられるような神だかなんだかという時代に入って、そういう場所に力を見出して、何かしらの神を想定してさ、神話みたいなものを創りだして、祀るわけだ。そしてそこで儀礼と称して執り行われる、神の啓示を受けるといわれる儀式で、そういう何かしらの人の特殊な意識の開放的な行為によって、時に、閉じられた穴と、その儀礼を執り行っている神職者なり巫女なりとのリンクが生じてしまう。ある意味では、今人々が敬い奉っている神とは、勝手に人が考えているようなものではなくて、それはかつてありありと世界に存在していた、人の手には負えそうもない大いなる災厄の塊であり、それは恐怖の中心の黒い闇であり、その穴なんだよ、穴自体なんだよ。あるいは、人がその穴の意志によって操られていて、私たちが見ている世界なんてものは、まったくの夢幻だと・・・、そういうことに過ぎないのかもしれないけれどねえ・・・。」

 

人間が理解出来ることと出来ないこと、あるいは望む夢幻と望まない現実の話。

 

ラゴはそこまで話してから、「ふ〜っ。」と言葉に出しながらため息を付いた。すると、それまでカタカタと小刻みに揺れていた湯のみが、その身を震わすのを静かにやめた。そしてラゴの体から吹き出ている黒い気配も、幾分か弱まったような気がした。

 

「つまり、ぼくとナツミは・・・、いま・・・、」

 

ラゴはしばらく、テーブルの、その上の動きのとまった湯のみをじっと見つめていたが、唐突にぼくの方にギロっと目を向けた。その目は一瞬凄まじい殺気を含んでいるかのように感じられたが、同時にそこには、溢れ出さんばかりの涙でも溜まっているんじゃないのかと思うほど、悲しげなものだった。

 

「そうだよ、残念ながら、そういうわけさ。」

 

「ということは・・・、つまり、ぼくの体とかじゃなくて・・・、」

 

「その場所に、穴が空く、おそらくね。」

 

「その場所に・・・。」

 

「そうだよ、その人間がより強く依存している場所にさ。」

 

「例えばこのアパートにってことですか・・・?」

 

「そうなるだろうねえ。」

 

「もしそうなったら、ぼくやナツミはどうなるんですか・・・?」

 

ラゴはしばらく、ぼくの目を見つめながら押し黙った。

 

「・・・まあ、わかりやすく言えば、死ぬだろうね。」

 

「・・・、死ぬ・・・、死ぬのか・・・。」

 

「厳密に言えば、死と言われるものがどんなものなのかを、今ここでああだこうだ講釈するつもりはないよ、私だってまだ未経験のことだしね、はっはっはっ。正直その片鱗くらいしか知らないだろうさ。だたね、ヤミゴラが開けばあんたたちはお払い箱、ようするに向こうからしたら私たち人間はねえ、使い捨ての道具にすぎないってことだよ。そしてその先に待っているゴミ捨て場はねえ、楽園なんてものとはおおよそ真逆な、おぞましい場所だとねえ・・・、そういうことさ。」

 

「ハッピーエンドではありえないと・・・、そういうことですよね・・・。」

 

「はっはっは、そうだろうねえ。さて、二番目の話が、ここでやっと理解できただろ、理解しなければ死ぬんだ。つまりはあんたが願わなければ、あんたも、そしてナツミさんも、バッドエンドへ突き進むことになるのさ。」

 

ぼくはラゴの水晶球のような眼球をじっと見つめていた。何かを考えていたわけではなかったような気がする。何かを理解するとか、何かを望むとかではなく、ただ目の前にある彼女の眼球をじっと見つめていた。彼女もまた同じようにして、ぼくの目をじっと見つめていた。

 

すると、テーブルの上に置かれたぼくの携帯電話の着信音が鳴った。

 

ナツミからだった。

 

我に返ったぼくがラゴに、「すいません、ちょっと出ますね。」と言うと、彼女は何も言わずに何度か首を縦に振った。ナツミがぼくに電話をしてくることなど滅多になかった。だからそれはもしかしたら、何かとても大切な用事か、あるいは何かのトラブルか、いずれにせよ急を要するようなものではないのかと、ふとそんな漠然とした不安が頭をよぎった。

 

「もしもし、どうしたの?」

 

「ねえ、いまさあ、ユウのとこに、ラゴちゃん来てるでしょ。」

 

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月白貉