ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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イヌも人間も食べちゃダメ、本当にあったコワいつまみ食いの話。

毎日の日課である犬の散歩の途中、近所の神社の裏手にある鎮守の森と呼ばれている場所の遊歩道を歩いていると、いつも通りかかる一本の大きなスダジイの根元の少し上の窪んで穴のようになった辺りの奥に、何か真っ赤な塊がひっそりと隠れるようにして張り付いていることに気が付いた。

 

連れていたイヌのザックもそれに気が付いたのかどうかは分からないが、私がそれに気が付いたのと同時にピタッと立ち止まり、私と同じようにその真っ赤な塊を凝視しているように伺える。

 

しゃがんでその穴の中に目を凝らしてみると、それは何やら人間の舌のような形状をしていて、プチプチと細かな毛穴のようなものが表面を覆っている。中心部分や樹に張り付いている面の部分はやけに生々しいピンク色をしていて、やはり人間の舌のようにも見えるし、見ようによっては歪な苺のようにも見受けられる。

 

私はしばらくそのまましゃがんでその赤い異物を観察していたのだが、ふと、これが何なのかを家に採って帰って調べてみようと思いたち、犬の散歩の際には必ず携帯している薄手の軍手をリュックから取り出して、その軍手をはめて樹に張り付いているそれをもぎ取って、そのままリュックのサイドポケットに放り込んで再び歩き出した。ザックは私の横で首だけをクルクルと動かしながら、私の動作の一部始終に見入っていた。

 

家に帰ってから、その赤い物体とノートパソコンを持って台所にゆくと、妻が食事の支度をしていた。

 

「あら、おかえりさない。ザックはちゃんとウンチした?昨日はまったくしなかったのよね・・・、どこか具合がわるいのかと思って心配で。今日はどうだった?」

 

「ああ、ちゃんとしてたよ。それよりさあ、コレ見てよコレ、何だと思う、コレ?」

 

妻のサエコがフライパンを手に持ったまま一瞬だけこちらに振り返り、その赤いモノをきちんと目に映したのかどうかは分からなかったが、すぐにまたガスコンロに向きなおってしまった。

 

「なあにそれ、神社で何か拾ってきたの?」

 

「うん、あの鎮守の森の遊歩道の途中にさあ、大きなスダジイがあるでしょ。あそこの樹の窪みにねえ、これが張り付いてたんで、何かなあと思って採ってきたんだよ。」

 

サエコが何かの炒めものを終えて皿に盛り、私が座っているテーブルの方に目を向けた。

 

「あ〜、それねえ、たぶんカンゾウタケの幼菌だと思うよ。」

 

「かんぞうたけ、なにそれは?」

 

「キノコだよ、あの〜、もうちょっと大きくなると、サルノコシカケみたいになるよ、種類は違うんだけどね。それねえ、海外なんかだと貧者のステーキとかさあ、あとは牛の舌なんて別名があって、食用にされているキノコだよ。」

 

「へ〜、よく知ってるねえ、これキノコなのかあ。」

 

「たぶんそうだと思う。昔、大学の時にさあ、友だちに付き合わされてキノコ狩りに行ったことがあって、その時にキノコに詳しい大学の先生だかなんかも一緒にいてさあ、教えてもらったのよ、だから知ってるの。」

 

「食用ってことは、これも食べられるってことだよねえ?」

 

「食べられるよ、生でも確かイケるよ、それだったらちっちゃいし、洗ってかじってみたらいいんじゃない。」

 

サエコはそう言って笑いながら、再び流し台の方に向きなおってから洗い物を始め出した。ふと足元を見るとテーブルの下にザックがいて、私の足にピッタリと身を寄せながらこちらをじっと見上げている。

 

「ザック、これ食べられるって、食べてみようか。」

 

イヌも人間も食べちゃダメ、本当にあったコワいつまみ食いの話。

 

私は椅子から立ち上がってサエコの横に行き、使っている流し台の水道の水にちょいと手を出して、その小さなカンゾウタケをササッとそこで流し洗った。そして再びテーブルに戻って椅子に腰掛けると、しばらくの間、食べてみようかどうしようかと、部屋のどこを見るでもなく視線を漂わせながら考えていたが、足元のザックがクンクンと高い声を上げて小さく鳴いたので、何かそれを開始の合図のようにして、その小さくて赤いカンゾウタケの端っこを少しだけかじって口に含み、何度もよく噛み砕いてから、喉へと流し込んでみた。

 

「うわっ、すっぱ!なんだこれ、酸っぱいんだ!」

 

サエコが笑いながら、また一瞬だけこちらに振り返った。

 

「ほんとに食べたんだ、まあ毒キノコじゃないから大丈夫だと思うけど、そうそう、酸っぱいんだよ。あたしは食べたことないけど、そのキノコ狩りに行った時もさ、どんな味なのかって聞いたら、強いて言えばバルサミコのような味だって、そう言ってたよ、その大学の先生みたいな人が。どうだった、バルサミコみたいだった?」

 

「う〜ん、バルサミコって言われればバルサミコかなあ・・・、まあ酸っぱいは酸っぱいけど・・・、それに、美味しいかどうかって言えば、う〜ん、微妙だなあ・・・。」

 

私がそう言いながら足元のザックを見ると、今度は私ではなくカンゾウタケの方に目が釘付けになっている。おそらくは私がそれを口にするのを見ていたので、食べ物を持っていると思ったのだろう。私は一瞬チラッとサエコの後ろ姿に目をやってから、手に持っている残りの、卓球の玉ほどの大きさのカンゾウタケをザックの鼻先に差し出してみた。するとザックは残像が出るようなすごい速さで、「パクっ!」という効果音でも鳴りそうな勢いで、その残りのカンゾウタケをすべて口に入れて、むしゃむしゃと食べてしまった。私は小さく「あっ。」と声を上げて、もう一度サエコの方をこっそりと覗き見るみたいにして伺った。サエコはその私とザックのやり取りには、まったく気付いてはいないようだった。

 

その夜、食事を終えて風呂に入ってから、居間のソファーで半分寝転びながら昔のSF小説を読んでいると、さっきまでソファーの横で寝息を立てていたと思っていたザックが、玄関の方でウーウーと低い唸り声をあげているのが聞こえてきた。何かと思った私がソファーから起き上がって玄関に行ってみると、ザックの姿がそこには見当たらない。すると今度は、私が今さっきいた居間の方から、また同じようなウーウーというザックの唸り声が聞こえてくる。何だ向こうにいたのかと思って再度居間に戻ってみると、おかしなことにそこにもまたザックの姿が見当たらない。

 

と、突然台所の方からサエコの叫び声と、私の名前を何度も激しく呼んでいるのが聞こえてきて、驚いてビクリと身を震わせる。

 

何事かと思って台所に飛んでゆくと、そこはもう電気が消されていてシーンと静まり返っており、サエコの姿はどこにも見当たらない。すると今度はまた居間の方からサエコの叫び声と、「ユーキっ!ユーキっ!!」と私の名前を呼ぶ声がする。何だと思ってまた再び居間へ駆けてゆくと、そこにサエコの姿はない。

 

私はその場で唖然としてしまって立ち尽くし、まさか夢でも見ているんじゃないのかとも疑って意味もなく両手で体のあちこちに触れてみたりしたが、その感触は夢のそれではないような気がする。ザックの唸りもサエコの声もいまは止んでしまって、家の中は気味が悪いくらいの靜寂に包まれている。

 

一度落ち着くためにソファーに腰を下ろそうと思って体を屈めた私は、背後にビリビリとした視線のような気配のようなものを感じて、ハッとして勢いよく振り返ってしまう。

 

居間の入り口の半分閉じられた引き戸の陰から、サエコとザックの顔が三分の一ほど見え隠れしていて、こちらをニヤニヤと笑いながら覗き込んでいる。サエコが笑ってるのはいいとしても、ザックの顔までが何かニヤニヤと笑っているような気がする。そしてザックの顔はサエコの顔の、サエコの頭の上に浮かぶようにしてこちらを向いている。サエコがザックを両手で頭の上に持ち上げたまま戸の陰に立っているのか知らないが、その位置関係がおかしなことになっていて、サエコに何か声をかけようと頭では思っているのだが、なかなかうまく言葉が出てこない。しかしギュッと掌を握りしめた私は何とか気持ちを落ち着けて、声を出す。

 

「な、なにしてるの・・・?」

 

すると、私が声をかけたその瞬間、サエコとザックの顔が、海岸の岩場で捕まえようとした蟹が岩陰に身を隠すみたいにして、すごい勢いでスッと廊下の方に引っ込んで消えてしまう。私は少し躊躇したが、すぐにそれを追って廊下に出てみると、廊下は電気が消えていて静まり返っており、サエコもザックも、姿を消している。

 

体中に何か冷たくて小さな虫が大量にゾワゾワと集ってくるような不快感に襲われた次の瞬間、頭の後ろを太い木の棒かバットで殴られたような激しい衝撃と痛みが走り、私は床に倒れこみ、その後の記憶はまったく残っていない。

 

気が付くと朝になっていて、私は居間のソファーの上に横になっていた。

 

ぼんやりとしてソファーから起き上がり、立ち上がって伸びをしてみる。昨夜は確かおかしなことがあり、その末に後ろから何かで殴られたような気がしたが、特に後頭部に痛みなどは残っておらず、手で触ってみても、血も出ていなければ腫れ上がっている様子もない。一体あれは何だったのだろうかと思って、しばらくそこで、記憶を巡りながら立ち尽くしていると、玄関の方からザックのウーウーという唸り声が聞こえてくる。昨日の断片的な記憶が蘇りつつも、居間の戸口から顔を出してゆっくりと玄関の方を覗いてみると、唸り声の聞こえた玄関に、ザックの姿はない。

 

すると突然、私のすぐ耳元でサエコの声があがる。その場の空気も、そして鼓膜をも引き裂くようなサエコの凄まじい叫び声があがり、後頭部に鈍器のようなもので殴られたような激しい衝撃と痛みが走り、記憶が火花のように飛び散ってしまう。

 

気が付くと、私は居間のソファーの上で横になっていた。

 

再びぼんやりとしてソファーから起き上がると、ソファーの前のローテーブルの上にザックがまったくの仰向けになって寝転がっていた。一瞬死んでいるかと思って声を上げそうになったが、よく見ると息をするようにして腹部が上下に動いていたし、体も時々プルプルと痙攣していた。おそらくは、どうやら眠っているようだったが、ザックがそんな姿勢で眠っているのは初めて見たし、おかしな具合に時々クンクンと高い声をあげる。もしかしたら、ザックは夢でも見ているのだろうかと思った。

 

ただひとつ気になったのは、ザックの口の辺りが、なにか赤黒いドロドロとした液体のようなものでベットリと濡れていることだった。そしてその時私は自分の右掌に、何か長い時間ずっと棒のようなものでも強く握りしめていたような、鈍い痺れを感じていた。私はしばらく、右掌を何度も開いたり閉じたりしながら、テーブルにおかしな格好をして寝転んで、時折少し苦しそうに体を震わすザックの姿をじっと見つめていた。

 

にわかに口の中に、昨日の真っ赤なきのこの味が蘇ってきたような気がした。

 

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月白貉