ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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イチジャマという憑物 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第拾弐話 〛

 

沖縄地方にはイチジャマという憑物がある。

 

これは生きている人の魂、すなわち生霊が体を抜けだして他の人に憑くと信じられているもので、基本的には女性の生霊である。

 

そしてこのイチジャマには家筋があって、母から娘へと母系によって受け継がれてゆくというが、一説によればこれは失恋した女性の生霊ともいわれていて、イチジャマの血筋でなくとも怨みの念の強い人はイチジャマを使えるようにもなるといわれている。

 

このイチジャマという特殊能力を使う者のことを沖縄ではイチジャマの語尾を伸ばして「イチジャマア」とか「イチジャマー」と呼ぶ。このイチジャマアの外見的な特徴として鋭い目つきをしているという共通点があげられる。これはいわゆる「邪視」の持ち主だと捉えることも出来る。

 

このイチジャマアが心の中で相手を憎いと思っただけで、相手は病気になったり、不意の怪我をしたり、財産や畑の作物に損害をこうむったり、あるいは身内に不幸が起こったりする。またこのイチジャマアが本腰を入れて相手を呪う場合には、イチジャマブトキイと呼ばれる本尊に祈るといわれ、この場合のイチジャマは強力で相手は急死することさえあるという。ちなみにブトキイとは仏のことである。

 

またイチジャマアの駆使する呪詛には他にも、ヤドカリに呪いを込めて相手の家に離すという方法や、島袋源七の『山原の土俗』には以下の様な記述も見られる。

 

「いちじゃま」は人を呪詛して病を起さしめる人だという。また人を呪い殺すこともでき、またある期間、腹、頭、歯などを痛めることもできると信じられているものである。これは尻の穴があかない人形に針をあてがい、たとえば頭痛を起させようとすれば、呪いつつ針で人形の頭を突く、また死に至らしめようとすれば、この人形を鍋の中へ打ち込んで炒るのである。

 

イチジャマに憑かれた場合には、沖縄地方の巫女、すなわちユタに頼んで見てもらう必要がある。依頼を受けたユタは神に祈願をして、米粒や掌の綾などを使って、どこそこの方角にいる何歳くらいの、あるいはどの干支の女が原因になっているのかを判断し、次にその憑かれた者をイチジャマ本体とみなして、憑いたことを非難しすぐに離れるようにと責め立てる。このときユタはイチジャマに憑かれている者の両手の親指の先を力の限り指で圧迫して「早く落ちろ、早く落ちろ、」と言葉責めにする。するとこのイチジャマは落ちて、イチジャマアのところへ戻るという。このためイチジャマを使う者の親指は平たくなっているといわれる。

 

イチジャマという憑物 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第拾弐話 〛

 

イチジャマを返すには別の方法も知られていて、例えば憑かれた者の親指を紐できつく縛り、祈りながらそこに釘を打ち付ける真似をするというものがある。これによりイチジャマアにイチジャマが返されて、いわゆる呪詛返しといわれるものであるが、自分の指が痛み、腫れ上がったりするという。イチジャマが強力であればあるほど、自分の身に返ってくる打撃は大きいという。

 

この他にも、イチジャマを返す方法は地域によって様々あり、憑かれた者の唇にウコンをつけると、その者は走りだしてイチジャマアの家の門の所まで行ってからバタリと倒れて回復するとか、イチジャマアの家においてある大きな水瓶の中に芭蕉の葉で包んだ糞を放り込むと憑物がとれるなどというものもあるという。

 

次回へ続く。

 

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月白貉