憑物筋の多数地帯における特徴 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第伍話 〛
憑物筋の多数地帯におけるその家筋の特徴とは、簡潔に言ってしまうとその地域への入村時期なのである。
石塚尊俊によれば、多数地帯である出雲地方の安来市と平田市、土佐の幡多郡、豊後の北海部郡からそれぞれ一地区を選出し調査を行い、いわゆる悪い筋の総本家と良いとされる方の総本家との関係性を見てみると、憑物筋は決して新しい家ではなく、さらには最古の家、つまり草分けの家でもなかったという。
ではどんな家かといえば、それはちょうど第二期くらいに地域に入ってきた入村者であり、かつ次第に前者を、つまりそれよりも古い家を凌駕してきた家にあたるという。
この調査の切欠について石塚尊俊は、柳田国男からの以下のような暗示があったと述べている。
世にいう狐持ちなるものが、出雲のように膨張してしまった地方ではむずかしいかもしれないが、そのいわば大元の家の入村の時期ということについてしらべてみる方法はないか、自分などが想像するところでは、それらはいずれも最初の開拓者ではなく、いわば第二期くらいの入村者であるように思うがどうであろうか、
そして、そこに浮かび上がってきた多数地帯の憑物筋の姿は、閉鎖的郷村社会において、一番最初に入村してそれなりの秩序を築き上げた人々の間へ、後から入り込んできて、さらには巧みに動きまわった結果、先の人々を凌駕するに至った人々に対する、前者からの妬みや嫉みがもたらしたものだということである。つまりは、後者の存在に脅威を感じた前者が、どうにかその名誉を失墜させてやろうとして、「あの家は犬神を使って、なにか呪術まがいのことをしている!」などという流言を放ち、それが最終的に根付いてしまったのである。
なんとも悲しく、かつ悍ましい話ではある。
それ以外の調査における例を見ても、この石塚尊俊の調査に酷似した結果となっており、農村経済が急激に変動した時代において、急成長した大地主であったり、金持ちであったり、そして付随する要素としてはそのいずれもが新参者であったということが、多数地帯の憑物筋の家の特徴としてあげられている。
次回へ続く。
月白貉