裏山のサルでも聞きたがる本当は恐いお盆の話
私の田舎にある実家の裏には、今では名前も無くなってしまったような小さな山がある。
あるお盆の年に、実家に帰省した私が家族で酒盛りをしていると、同じく実家に帰省していた妹の夏美がその山のことを話題に上げた。
「ねえねえ、お兄ちゃんさあ、裏山の閻魔堂って行ったことある?」
「あ〜・・・、あるにはあるけど、なんで?」
「明日、十六日でしょ。あの閻魔堂ね、お盆の十六日と正月の何日かにだけさ、あのお堂の扉が開けられて中に入れるって知ってた?」
夏美が首をすくめながら、話の内容にはそぐわないようなやけに楽しそうな顔をして笑っている。
「ああ、前におばあちゃんに聞いたことはあるよ。でもそれ、ずい分昔の話だろ。いまあのお堂、扉が開くとかなんとかいう以前にさ、もうボロボロだから・・・、入りたければ勝手に入れるだろ、きっと。まあそういうことしたら、あんまりよくないし、あそこなんだか怖いからさ、そんなことしないけど。なんかさ、おれは行ったことないけど、あのお堂の横に古い石段があるじゃない、それ登ってくと山頂には古い寺だか神社だかがあるって、確かおばあちゃん言ってたけど、そうだよねえ、おばあちゃんっ、おばあちゃんっ!、あの裏山のさあ・・・、」
私の父方の祖母は今年で九十歳という高齢だったが、いまだに家事や畑仕事をこなしているせいか、その年齢では考えられないような若々しい容姿をしていて、今でもずいぶんと活動的な生活を送っていた。喋り方も流暢でしっかりしていたし、動きも機敏で日常的に自転車にも乗るそうだった。さらには食欲も旺盛で、大好きな日本酒も毎晩飲んでいると、父が時々メールに書いて送ってくることがあった。
その酒盛りでも日本酒の一升瓶を自分の脇に置いて、豆腐や煮物を肴にしてコップに波々と注いだ日本酒をグビグビと飲んでいた。ただやはり九十歳にもなると身体機能の一部には少なからず衰えも生じてきていて、特に耳はずいぶんと遠くなっていた。
「おばあちゃんっ、秋人がなんか言ってるよ、おばあちゃんっ!」
間に座る父が糸電話の糸になったように中継ぎをしている。
「なあに、秋人?」
祖母がこちらを向いてニコニコと無邪気に微笑んだ。
「あの裏山の上にはさあ、寺だか神社だかがあるって、おばあちゃん言ってたでしょ。」
「ああ、そうだよ。あれだろ、猿神さんだろ。」
「まだあるの?」
「ん〜、社は、まだあるだろうか?もうずいぶんと古いもんだからねえ。あたしがまだ小ちゃい頃にはもうあったし、あたしの婆さんの頃にもね、あったって聞いたからね。でも、もう人が行かなくなっただろ。だから、いまはどうだろうねえ、あるかねえ。」
祖母は時々ゆっくりと頷いて、酒をグビッと飲んだり、豆腐を少し箸でちぎって口に入れたりしながら、話を続けている。
「なんだかねえ、悪い噂がたったんだってよ。あそこに時々お祈りをあげに来てた宮司さんが、ある日あそこで、山の上で死んでたそうでねえ。ホントかどうかは知らないけどさ、まだあたしが小ちゃい頃だから、ずい分昔だよ。それでなんか悪い噂がたって、そういうのがあると田舎はみんな行かなくなるんだよ。」
夏美が興奮したようにして横から「えっ!」と声をあげる。夏美は小さい頃から、お化けと幽霊とかそういうものに異常に関心を示す質だったが、そのくせ異常な怖がりでもあった。だから私はいつも、彼女の中ではその整合性はどうつけられているのかが不思議でならなかった。
「おばあちゃんっ!悪い噂ってどんな噂なの?」
「いやねえ、悪い噂だってことだけしか聞いたことないのよ。なんだか悪い噂だよっていう、そういう噂だよ。でもねえ、あたしが知ってるのはねえ、あの山の下にある閻魔堂がねえ、盆と正月の十六日にだけ、お堂の扉が開けられてねえ、いつもは入れないお堂の中に入れるって。でもねえ、あたしの婆さんが言ってたけど、あれは人が入るために開くんじゃないんだって。」
「えっ!じゃあ何のために開くのっ?!」
夏美がテーブルに乗り出し過ぎて、自分のグラスに注がれたビールをバシャっと豪快にこぼした。横の母は「もうっ、ちょっと夏美!」と大きな声を出して立ち上がり、台所に布巾を取りに駆けてゆこうとしている。すると祖母は「あっ!」という顔をして、立ち上がった母に向けて自分が手に持っていた手ぬぐいを差し出している。
「春枝さん、これこれ、これ使いなさいよ、これ。」
「おばあちゃん、それはおばあちゃんの汗拭いてるやつだから駄目ですよ、いま台布巾持ってきますから。」
「ごめんごめん・・・、で、おばあちゃん、なんでなんで、教えてよっ!」
「え〜とねえ、閻魔堂にはねえ、こんな大きな閻魔様と、それから確か奪衣婆が、置いてあるんだけどねえ、その閻魔様の後ろの床下に大きな釜が置いてあって、その釜からねえ、盆になると亡者が這い出てくるんだって聞いたよ。その釜が地獄に通じててってねえ。盆には地獄の釜の蓋が開くって言うから。だから扉が開くのは、その亡者たちが中から出ようとして押し開けちゃうんだってさ。あたしの婆さんはねえ、盆になるといつも、マサちゃん今日は裏山には行っちゃいけないよって、亡者に取り憑かれるから今日はあそこには行っちゃいけないよって、よく言ってたの覚えてるよ。」
「こわっ・・・、明日、亡者出てくるんだあの閻魔堂・・・、お兄ちゃん明日、閻魔堂、行ってみない・・・?」
「アホかっ、いかないよっ!夏美ちょ〜怖がりなくせして、すぐそういうとこ行きたがるよなあ・・・、意味がわかんないよ。だいたいあそこちょっと空気がおかしいし、亡者云々がなくてもおれ行かないから。あそこちょっと雰囲気怖すぎるよ。」
ずいぶん酔っ払っている父が、ボソボソとした声で話に割って入ってくる。
「おばあちゃん、あそこの閻魔様さあ、猿閻魔って呼ばれてなかったっけ?」
「そうそう、サルエンマだよ。」
「なんで猿閻魔って言うの?」
「ん〜、なんかいろいろ言う人がいるからねえ、あの山の神様が猿神さんだったからってのとか、そうだそうだ、猿神さんが祭られなくなって降りて来ちゃって、あそこにいるからだとかね。死んだジイさんの知り合いの、あの郵便局のとこの西田さん、あの人は昔先生してただろ。それで・・・、なんか調べてて、あの閻魔様つくる時にだか、命吹き込むために、山の猿捕まえて殺して閻魔様の体の中に入れたとかで・・・、で、そうだそうだ、それでやっぱり盆にさ、亡者と一緒に閻魔様も外に出てきちゃうって話だ、そうだそうだ。それでその閻魔様を見た人がいたとかで・・・、なんだか毛がね、体中に毛が生えたような閻魔様で・・・、そういう風に言ってたなあ。」
「裏山に猿なんかいるんだっけ?」
「いまはもうほとんどいないって言うねえ。でもあたしがまだ若い頃は、たくさんいたんだよ。でねえ、いっかいジイさんが裏山の猿は食べると長寿の薬になるって聞いたって言ってねえ、どっかから猿の肉もらってきて、食べてみるって言ってねえ。結局ジイさんはやっぱり気持ちが悪いからやめるって言って、あたしだけちょっと食べて、捨てちゃったことがあったよ。」
「おばあちゃん、その肉食べたのっ!!!」と父が大声を上げてから、ガハハハと笑ったが、私はそれを聞いてちょっと背筋に薄寒いものを感じて、「えっ・・・」と声が漏れてしまった。
「なんだか、こうやってお盆にみんなが田舎に帰ってくると、大概はこういう怖い話に落ち着くもんだよなあ。おばあちゃんもまだまだ元気だし、今年の盆も、よかったよかった。」
父はそう言って、真っ赤な顔をしてニヤニヤと笑った。
「まあどっちにしろねえ、盆はねえ、ご先祖さんなんかと一緒にねえ、山やら海やらからねえ、他にもいろんなものが出てきちゃう時だから、秋人も夏美も、ちゃんと気を付けなさいね。」
祖母はそう言ってウンウンと頷きながら、グビグビとコップの日本酒を飲み干して、「はあっ・・・。」と溜息をついた。
月白貉