読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

サルでも怖がる本当は恐いお盆の海

小説 小説-短編

「駄目だ駄目だ、今日海なんか行ったら駄目だよ、危なくってしょうがないよ。」

 

早朝に実家に到着した私と妻と息子は、まだ午前中だというのにギラギラと殺人的な熱と光を放って照りつける太陽の下、私の両親と祖母と共に実家のすぐ側にある先祖の眠る墓に向かい、迎え盆を終えた。

 

頭から水でもかぶったように汗だくになって家に帰ってきて、墓から提灯に灯してきた蝋燭の火を盆棚に移し、皆で線香を上げて手を合わせる。その後は毎年決まったようにして、祖母の作ったソーメンを皆ですすり、食後にスイカを食べて、その日の儀式が終了する。

 

昼食を食べ終えてから、私が団扇を扇ぎながら畳で寝転んで青白く光る空をぼ〜っとして眺めていると、息子の春樹が海に行きたいと言い出した。私の実家は太平洋側の海沿いに面した小さな集落にあり、家からものの五分も歩けば、そこには広大な海原が広がっていた。観光客でワラワラと賑わうような白砂の海水浴場というわけにはいかなかったが、地元の人々がパラパラと疎らに集うような小さな砂浜があって、その場所の海の美しさはお世辞抜きに、国内でも有数のものだと自慢できるようなものだった。

 

「ばあちゃん、春樹が海に行きたいって言ってるんだけど、大丈夫かな?」

 

「駄目だ、駄目だよ今日は海なんか行ったら。」

 

「ちょっと波打ち際に入るくらいだから、大丈夫だろ?」

 

「駄目だよ、盆の日は危ねえから駄目だよ。おまえ子供の頃にわかったろ。ばあちゃん話しただろ、盆の日に海なんか行っちゃ駄目なんだよ。」

 

「ああ・・・、海から・・・あがってくるからってやつか・・・。」

 

春樹が私の横に座って、口をギュッと閉じて黙ったまま祖母の方をじっと見つめている。

 

「そうだよ、伸介はあれに引きずり込まれて・・・わかっただろ。そんでなあ・・・、あれは溺れたんじゃねえよ。あんだけ言ったのに、あれは、あの時わしもいればなあ・・・」

 

祖母は隣の部屋の床に座って何かたたみものをしながら私に背を向けていて、こちらには振り返らずにその後もなにかぼそぼそとひとりでしゃべっていた。

 

私の弟の伸介は、私が小学六年生の時の夏に一緒に海で遊んでいて溺れてしまい、命を落とした。その時伸介は四年生で、二人とも泳ぎにはずいぶん自信があったのだが、まったく波のない凪の海の浅瀬で、伸介がおかしな具合に藻掻いて、水面から一瞬で姿を消したことを、今でも鮮明に覚えている。驚いた私はすぐにその場所まで泳いでいったが、いくら水の中を探しても伸介はどこにもおらず、その後集落の人々や警察なんかが来て総出で探しまわったが、結局伸介は見つからないまま夜になってしまった。

 

その三日後、伸介の無残な遺体が浜に隣接する岩穴の中の古い社の脇に打ち上がっているのが発見された。私は当時怖くて伸介の体を見ることは出来なかったが、話によれば鮫か何かに食い千切られているようだったと、後になってから聞いた。

 

伸介が海で消えたのは、迎え盆の日の午後だった。

 

f:id:geppakumujina:20160813144058j:plain

 

祖母には昔から同じように、盆の日の、特に迎え盆の日の海では絶対に泳いではいけないと言われていたが、私と伸介はその言いつけに従わず、毎年毎年お盆の時期でも海に入っていた。けれど迎え盆の日に海に入ったのは、それが初めての事だった。そして伸介は、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 

春樹が私の横で「海は?海は?」と言って、私の半袖のシャツを引っ張っている。

 

「ばあちゃん、海に入らなければ大丈夫だろ・・・?浜で遊んだり、岩場で蟹とったりするくらいなら、大丈夫だろ・・・?」

 

「だから駄目だよ・・・、駄目だ。浜にだってあがってくる。」

 

「ばあちゃん、あがってくるあがってくるっていつも言うけど、それは幽霊みたいなもんなのか・・・?」

 

祖母はしばらく手を止めて黙っていたが、正座をしたままこちらにズリズリと向きなおった。

 

「人間のそういうのも、もちろんあがってくる。でもなあ、それはあんまし危なくねえんだよ。危ねえのはな、それを追っかけてくる、鬼どもだよ、あれがおっかねえんだよ・・・。」

 

祖母は拳をつくった右手を左手でギュウギュウと押し握りながら、眉間にしわを寄せて春樹の方を見ている。

 

「鬼って何だよ、そんな話初めて聞いたよ・・・。鬼って・・・、鬼ってなんだよ。」

 

「鬼だよ、名前なんかねえものだよ。ばあちゃんもなんだかよくわかんねえけど、そういうのがいて、昔っからそういうのがいてさ、いてさ、それがおっかねえんだよ。それが時々出てきては、人なんかも食っちまうんだよ。人なんかよりもずっと昔っからいて、みんなはなあ、見たことがねえから、あれを神様だの何だのっていってありがたがるけど、あれは神様なんかじゃねんだよ、人を食っちまうんだから。」

 

祖母には生まれながらにして特殊な能力があり、人には見えないモノが見えた。そういうことがあったから一時には集落の中でも異端視されていた時期があったそうだが、時代が変ってずいぶんと年をとってからは、人に頼まれると失せ物探しだったり、吉凶の占いのようなことをしていた。その噂がどこかから広がって、他県からも祖母を頼って訪れてくるような人までいた。

 

「ばあちゃんがまだ小さな時分にな、いちどだけばあちゃんのばあちゃんに連れられて迎え盆の後に海見に行ってな。そしたらばあちゃんが言うんだよ、マサコやって、見てごらんよって。わしのばあちゃんにもわしと同じようなものがあったからな、マサコ見てごらんって。」

 

祖母は畳をじっと見つめて、拝むようにして手をこすりあわせている。

 

「浜から見える正面の海一面にさ、こうやってザーッと何百人も人影みたいなものが並んで、こっちにどんどん走ってくんだよ。後から後からどんどんどんどん海から浜にあがってきて、近くまで来るとそれが全部さ、人なんだよ。それがばあちゃんの横をビュウビュウ風みたいに走り抜けていって、海から浜にあがって砂浜を抜けて集落のほうにさ。そして集落の方に向かっていって、消えちゃうんだよ・・・。」

 

春樹が真剣な顔をして祖母の方をじっと見ている。

 

「それでまだまだどんどん海からは人があがってくんだけど、その人の後をな・・・。人の後ろから、海のずっと向こうの方からさ、デッカイ化物みたいな猿が、歩いてくんだよ・・・。このくらいまで、腰まで水につかっててもまだ雲にも届くようなのが・・・、なんだか速いんだか遅いんだか知れないんだけど、ずんずんと歩いて人影追いかけながらこっちにくんだよ・・・。途中でその猿がな・・・、前を走ってる人を手で何人も何人も掴んで、こうやって食ってるんだよ・・・、こんな風にあられでも食べるみたいにして、食ってるんだよ・・・。」

 

祖母が宙を掻くようにして手を振り回す。

 

「わしはもう、おっかなくておっかなくて・・・。目を瞑ってさ・・・、もうおっかなくて目が開けられなくて、ばあちゃんにしがみついて、そのまま引きずられるようにして家に帰ったこと、覚えてるよ。家帰ったらおっかなくて涙が止まんなくて、そしたらばあちゃんが、今日みたいなお盆の日の海には、ああいうのが山ほど出てくるから、そういう日には絶対に海になんか行ったら駄目だって、引っ張られて喰われるって、そういう風に、わしの頭なでながらな、言ったんだよ。」

 

私はその話を聞いていて、古びて使われなくなった深い井戸の底を覗き込んでいる時のような気分になった。その井戸の底には、水が溜まっているのか溜まっていないのかもわからず、ただただ真っ黒い闇だけがあって、果たしてその闇の先に底があるのかもわからないような、そんな気分だった。

 

私の横で祖母の話に耳を傾けていた春樹が、その内容をどれだけ理解できたのかはわからなかったが、「海には行かない。」とだけ言って立ち上がり、ものすごい勢いで台所の方に駆けて行ってしまった。

 

祖母はまたズリズリと床の上で座ったまま回転して、何かのたたみものの続きを、音もなく始めだしていた。

 

follow us in feedly

 

 

 

 

 

月白貉