ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ツキモンGO

 私が妻に軽く揺り起こされて目を覚ましたのは午前九時を少し回った頃だった。

 

「はいはい、天気がものすごくいいから、シーツ洗わなきゃいけないからね、いつまでもシーツと戯れてたら洗えないでしょ。」

 

「うん・・・、あっ・・・、わかったごめん、起きるよ・・・。」

 

昨夜、同僚の蒲田と赤羽の焼き鳥屋で世間の愚痴を吐きながら浴びるほどに酒を飲み、気が付くとうつらうつらしながらタクシーに乗っていて、ところどころあまり記憶が確かではない。

 

酒を飲んで二日酔いを起こすことは滅多にないのだが、ここ数ヶ月、平日は酒を控えていたのがかえって禍して、久しぶりの酒に勢い余って悪酔いをしてしまったようだった。両のこめかみに数秒ごとに亀裂が入るような痛みがあった。

 

トイレを済ませてから洗面台でぼんやりと歯を磨いていると、洗面台に併設している風呂場の扉が開いていて、浴室の床には妻がよく白菜なんかを漬けている淡い黄色をしたプラスチック製の漬物容器が置かれている。

 

何気なしにその漬物容器をじっと見ながら歯を磨き続けていると、息子がダダダダと乱暴に足音を立てながら私のいる脱衣所に駆け込んできた。

 

「まさか、開けた?!」

 

起きたばかりでさらにはキリキリと悲鳴をあげている頭で、一瞬何のことを言っているのかを、歯ブラシを揺らす手を止めて考えてみる。

 

「んっ・・・?あ〜、その容器のことか。いや、開けてないけど。」

 

「あ〜、よかった・・・。さっきお母さん開けようとしててさあ・・・。」

 

「それ、ハルキが使ってるのか?なにやってんだ、その容器で・・・?」

 

「ツキモンGOだよっ。」

 

ハルキが漬物容器を慎重にゆっくりと抱えるように床から持ち上げると、容器の中で何かガサゴソガザゴソと転がるような音がしている。

 

「ツキモン、ゴー・・・つけもんじゃなくて?えっ、何かお漬物を漬けてるってこと?」

 

ハルキは呆れたようにして私の顔を見た。

 

「違うよ、ツキモンGOだよ、ツキモン!漬物なんか漬けるわけないじゃん・・・。」

 

「だってそれお母さんがいつも白菜漬けてるやつだろ。ツキモン・・・ってなんだよ。」

 

「あっちに本あるからさ、ちょっと来て読んでみてよ。」

 

そう言ってハルキは大事そうに容器を抱えて、時々容器の側面を覗きこむような仕草をしながら居間の方に歩いて行ってしまった。私は透明なプラスチック製のグラスで泡だらけの口を濯いでから、蛇口を捻ってバシャバシャと顔を洗い、首にかけたタオルで顔を拭いながらハルキの後を追って居間へと向かった。

 

居間の丸テーブルの中央に容器を置いて床に胡座をかいているハルキが、無言のまま私に向けて分厚いハードカバーの古めかしい本を差し出している。すると、ベットカバーやシーツを抱え込んだ妻が洗面所に向かう途中で居間の中を通り過ぎる。

 

「ちょっと、あんたっ!それ家の中なんかで開けないでよっ!!逃げ出したら、お母さん失神するからねっ!!!」

 

ハルキが不機嫌そうな顔をして「開けないよ・・・。」とつぶやいた。

 

妻が「ほんともう頼むよ・・・。」とひとりごとのように吐き捨てながら、早足に洗面所の方に行ってしまうと、私は立ったままハルキの差し出した本を手に取る。

 

その表紙には『憑物 - 業 -』と書かれている。

 

ツキモンGO

 

「つきもの、ぎょう・・・、なんだこれ・・・、難しそうな本だな。」

 

私はあまり読む気もなく、パラパラと本のページをめくってから、すぐにハルキの方にそれを突き返してしまう。

 

「読まないの・・・面白いのに。それに書いてあるのを、やってるんだよ、ツキモンGO。」

 

「なるほど、それでツキモンゴーって読むのか。一体何なんだ、そのツキモンってのは?漬物じゃなさそうだなってことしか、お父さんわからないけど。」

 

頭のキリキリとした痛みが先程よりは幾分か和らいできたが、急に激しい空腹感が襲ってくる。ハルキは私のそんな事情は当然つゆ知らず、ちょっと得意そうな顔をして、容器の中身について説明を始めた。

 

「この中には今さ、いろんなとこで捕まえてきた昆虫とか蛇とか蜥蜴とかさ、そういうものが全部一緒になって入っててさ、」

 

「ちょちょ、ちょっと待って、蛇が入ってるのか、その容器に・・・。漬物に使うやつだろ・・・お母さんにちゃんと言ったのか・・・それ。」

 

「言ったよ〜、使わない容器があったらほしいって言ったら、これくれたんだよ。何に使うのかって聞かれたから、捕まえた虫とか入れるって言ったら、これはもう古いやつで使ってないからいいよって言ってたよ。」

 

「ああ・・・、そうかそうか、ならいいけど、蛇とか虫とか入れた後で漬物やられちゃったら、困るからな・・・、ごめんごめん、話の途中だったな、それで?」

 

私は腹の虫をおさえながらその場で床に腰を下ろして胡座をかいた。

 

「それでね、しばらくこのまま何日か置いておくとさ、中に入ってる虫とか蛇とかが共喰いを始めるんだよ。で〜、そうやって戦ってる内に最後に一匹だけ一番強いヤツが残るんだって。でね、その強いヤツはさ、なぜかわかんないけど元のサイズよりもすっごい体が小さくなって、形なんかも最初とはちょっと変形しちゃって、こんなバッジくらいの大きさになって、それで、容器の持ち主を噛んだり刺したりはしなくなるんだって。懐くんだって。クラスの何人かで今やっててさ、めっちゃ流行ってて、ぼくもこの本貸してもらって読んでさ、やり始めたんだよ。」

 

「へ〜・・・なんだかすごい遊びだな・・・。もういまやスマホとかネットとか通り越して、そんなアナログなことになってるのか・・・。それで、その最強のは、その後どうするの・・・?」

 

「うん、それで、その後にね、その最強のヤツをカプセルに入れて、あのガチャガチャのやつとかさ、何でもいいんだけど、それを持ち歩くとお守りになるんだって。この本にはね、自分の体にそのままくっ付かせておいても逃げないって書いてあるけど。でもね、例えばさ、ぼくが誰かにさ、あいつムカつくなあとか、心の中で思ったりしちゃうと、勝手にその相手に引っ付いて取り憑いて、怪我させたり病気にさせたりすることがあるから、なるべく動きまわらないような状態で持ち歩くのがいいって書いてある。」

 

「そっか・・・、なんだかちょっと恐い話だな・・・。だから憑物なのか・・・。」

 

ハルキはウンウンと頷きながら真剣な顔つきで本のページをパラパラとめくり、目を通している。 

 

「あとね、自分の最強のヤツと誰かの最強のヤツを戦わせることも出来るんだって。二匹だけを入れた容器をこうやって同じように閉めて置いておくと、やっぱりどっちか一匹だけが生き残って、もう一匹は食べられちゃってさ、もっと強い効果のあるお守りになるし、もっと強いヤツが出来るって。」

 

「それ、もうやってるわけ・・・学校とかで?」

 

「学校ではやらないけど、石塚くんちとかで、やってるらしいよ対決はね。この本は石塚くんから借りたんだよ、石塚くんのおじいちゃんが貸してくれたんだってさ。」

 

石塚というのはハルキの学校の同級生で、その祖父は地域でもちょっと知られた占い師だった。

 

「そうか・・・。まあやるのはいいけど、程々にしなさいよ。あと、お母さん、わかってるだろうけど、虫とか蛇とかまったく駄目だから・・・な。ちなみに、その容器には、あとは何が入ってるの?」

 

「えっと、蝉も入れたでしょ、カマキリとアシダカグモと、ミミズとムカデも入れてみた。あとね、体の真ん中が赤いデカい蟻とかも入れたし、あとは、」

 

「わかったわかった・・・。じゃあお父さん朝ごはん食べるからさ・・・。なんか強いの出来るといいな。」

 

その話を聞いていた私の食欲は、最初からすでにそこには無かったかのように、まったく消え失せていた。ハルキはまた漬物容器をしっかりと抱えて立ち上がり、居間を出て行く途中で振り返った。

 

「強いやつゲット出来たら、お父さんに見せるよっ!」

 

台所の方から、妻の入れる珈琲の香りが、わずかに漂ってきていた。

 

お題「ポケモンGO」

 

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月白貉