ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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蠱道の影響 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第壱話 〛

序章として〚第零話〛がありますので、もしご興味があれば以下をどうぞお読みくださいまし。

 

 

憑物研究の第一人者で民俗学者の石塚尊俊は、憑物について以下のように述べている。

 

わが国における憑きものは、元来は決して悪いものではなかった。つまり人の持ちえぬ霊力を備えた動物を招き寄せて、その宣託を聞こうとしたのが、この信仰のそもそもの始まりであって、それは村の集団的行事として行われたこともあったろう。しかし、畏い神は一転すれば恐るべき神、嫌悪すべき神になってくる。すなわち禁忌の転化である。と同時に知性の向上はそういうことをしだいに身辺から遠ざけてくるが、それにもかかわらず、一方では大陸からある種の呪術が伝来し、呪師の往来が頻繁になるにつれて、彼らの中には利益を追及するのあまりに、それを悪用するものも出てきた。かくして動物霊の信仰はやがて一様に非難され、恐れられるべきものにかわった。(石塚尊俊『憑きもの』より)

 

ここで述べられている大陸から伝来した呪術の中で、動物霊の信仰に影響を与えたと言われているのが「蠱道(こどう)」と呼ばれるものである。

 

蠱道とは、別名を蠱毒(こどく)、蠱術(こじゅつ)、巫蠱術(ふこじゅつ)などとも言い、古代中国において広く用いられていたとされる動物を使った呪術の一種である。

 

蠱というのは、例えば壷や瓶のような密閉できる器の中に様々な昆虫や爬虫類などを入れて共喰いをさせ、最後に一匹だけ生き残ったものを神霊とみなして、そう呼ぶという。そしてその蠱を使ったり、あるいはその蠱から抽出した毒を使ったりして呪いの術を行うので蠱道と呼ばれるに至る。

 

この蠱道を操る術者が、人を呪ったり殺したりという用途に頻繁にこの呪術を使い出したために、当時の社会問題にまで発展したと言われている。

 

蠱道の影響 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第壱話 〛

 

そしてこの蠱道が日本にも伝来し、最初はムカデやカエルを使っていた蠱道が、日本古来の動物霊信仰と混じりあって、犬や猫などの動物を使って動物霊を人に憑依させて害を成すような高度な呪術にまで発展を遂げた挙句に、それが民間にも流出しだして憑物信仰が生み出されたとされている。

 

あるいはその発展した呪術は、日本古来よりの動物霊信仰とはまた別の軸だったのかもしれないが、呪術の側の社会への影響があまりにも大きかったが故に、同様のものとみなされて、忌み嫌われるようになったのかもしれない。

 

次回へ続く。

 

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月白貉