ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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朔日『白い毛玉』- 八月怪談

毎月のついたちになると、きまって奇妙な白い毛玉のようなものを見かける。

 

見る場所は定まっていない。朝の出勤途中の路肩のゴミ置き場にいることもある。駅のホームの一番端の暗がりにいることもある。公園の砂場や、コンビニの駐車場や、自動販売機の脇や、電信柱の陰や、そういうありふれたような場所で、バレーボールくらいの大きさの薄汚れた白い毛玉のようなものを、必ず目にする。ついたち以外の日にはまったくみかけないが、ついたちの日には、一日の何処かで必ず、その白い毛玉を見かけるような気がする。

 

その白い毛玉を見るたびに、「あっ」と思って、しかし特別気にかけるわけでもなく、いつもすぐに通りすぎてしまう。

 

そのことを、毎日寝る前につけている短い日記に書きだしたのは、いつ頃のことだろうか。

 

八月一日、きょうも、白い毛玉を見た。朝の出勤途中に、道の向こうから町内会の会長さんが自転車に乗って走ってくるのが見えたので、手を挙げて「おはようございます。」と声をかける。町内会長さんは自転車を止めて「ああ、おはようございます、きょうも暑くなりそうですね。」と言う。自転車の前のカゴに白い毛玉のようなものが入っている。

 

「あっ」と思って、さすがにこれは聞いてみたほうがいいかと思うが、やはりやめてしまう。

 

仕事を終えて帰宅して、夕飯の席で妻に朝の白い毛玉のことを話してみる。そういえば、白い毛玉のことを妻に話すのは初めてのことだと気が付く。テーブルの向かいで箸を動かす妻に「今日の朝、町内会長さんに会ったよ。」と言うと、「ああ、そうですか。」と返してくる。「それでね、自転車に乗っていたんだけれど、その自転車のカゴにね、白い毛玉のようなものが入っていたんだよ。」と言うと、「ああ、そうですか。」と返してくる。

 

「あれは、いったい何かねえ?」と言うと、妻がお茶をすすってから「猫じゃないんですか。」と返してくる。

 

朔日『白い毛玉』- 八月怪談

 

ああ、そうか、猫か、と思いながら、ナスの漬物を口に運ぶ。じゃあ、あのいつもついたちになると見かける白い毛玉のようなものは、あれは猫かとそう思う。「ああ、猫かもしれないねえ。」と口に出してみると、妻も「猫でしょうねえ。」と返してくる。

 

その夜、寝る前になっていつものように日記帳に日記を書き出す。

 

八月一日、晴天で暑さが厳しい。昼に蕎麦屋に行き、たぬきそばを食べる。仕事の帰りに五十円玉を拾う。人生の中で五十円玉を拾った記憶はない。これが初めてのような気がする。

 

朝、白い毛玉を見かける。町内会長さんの乗る自転車のカゴの中。

 

白い毛玉のことは、その日の中のどの時点で見かけても一番最後に書くことにしている。白い毛玉を見たことと、その場所を記している。

 

短い日記を書き終えて一度日記帳を閉じるが、きょうの夕飯の時の事を思い出して、少し書き足すことにする。

 

あの白い毛玉のことを妻に話す。妻は猫だろうと言う。あの白い毛玉は猫かもしれない。

 

そこまで書いてしまって再び日記帳を閉じる。ふと、毎月のついたちの日記に書かれている白い毛玉のことが気になって、また再び日記帳を開いて、ついたちのページをめくってみる。

 

七月一日、雨曇の空、蒸し暑い。昼に蕎麦屋に行ってカレーそばを食べる。カレーそばには白飯が欲しくなるが、今日は注文せず。残業で遅くなった帰り道、あまり見かけたことのない女性が小さい子供のようなものを抱えて歩いているのとすれ違う。すこし気味が悪い。

 

何度も読み返すが、白い毛玉のことがどこにも書かれていない。おかしいなと思って、更に遡って日記を読んでみる。六月一日、五月一日、四月一日、しかしどこを読んでも、ついたちになると必ず見かける白い毛玉のことがまったく書かれていない。何かの思い違いでついたち以外の日記に書いてあるのかと思って白い毛玉という言葉を探してみるが、どこにも見当たらない。横で布団に入っている妻が目を開けて「どうしたんですか。」と言ってくる。「いや、お前今日ね、私が白い毛玉の話をしただろ?」と言うと、「白い毛玉の話なんてしましたか?」と返してくる。

 

「夕飯の時に、町内会長さんの自転車のカゴにさ、ほら、白い毛玉があって、あれはなんだろうって話だよ。」と言うと、「そんな話しましたっけ?」と返してくる。「いや、しただろう、白い毛玉だよ。実はね、毎月ついたちの日には必ず、白い毛玉を見るんだよ。あれは何かなあと思ってさ。」と言うと、「猫じゃないんですか。」と返してきて、目を瞑ってしまった。

 

「ああ、あれは猫かもしれないねえ・・・。」

 

毎月ついたちになると、きまって奇妙な白い毛玉のようなものを見かける。

 

来月のついたちもまた、あの白い毛玉を、見かけるだろうか。

 

お題「怪談」

 

 

 

 

月白貉