ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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明
明

午前0時の鐘がなり、誰も読むはずがないけれど、本当は怖い階段の怪談、草木も眠る続きへようこそ。

まだ前の話をお読みいただいていない方、この話には前があります。まあ、もう午前0時ですから、草木も眠りますし、誰も読んでいるはずがありません。

 

 

「電気・・・スイッチ・・・付け直してみたら、どうかな・・・。一回消して、また付け直してみたら・・・。」と、思い付きでぼくが小さな声を発した。静寂が怖かったからだ。

 

「やって、やってみて、川田くんやって・・・はやくやって。」と、小林くんがぼくの言葉尻に被せ気味に返事をする。先ほどの様子に比べると、思いのほか声は元気そうだった。ただ気のせいかもしれないけれど、その声に何か小さな違和感を覚える。

 

自分で言い出したものの、この状況下で電気をすべて消すという行動には、瞬間的にでもこの空間を闇に包むという行為には、なにかとてつもない勇気が必要だった。

 

暗闇に目が慣れてきていて、いまではずいぶんはっきりと、薄明かりの部屋の中が見渡せた。電気のスイッチは、部屋の戸のすぐ脇の壁にある。それはもちろん簡単に目で確認できるのだが、そこまでの距離が果てしなく遠く感じる。さらには、戸に付いている覗き窓が、なにか異様に怖ろしい。すごく嫌な感じが、それは恐怖が生み出す幻想なのかもしれないけれど、ものすごく、ものすごく嫌な感じが、半ば色を帯びて漂っている。

 

ぼくと小林くんがいま閉じ込められている空間、自分たちが迂闊にも入ってしまったのか、あるいは意図的に招き入れられたのか、出ようと思えば出られるのか、もしくはやはり閉じ込められていて出ることは叶わないのか、そんなことは、もはやどうでもよくて、まずはあの電気のスイッチに手をかける勇気が必要だ、ということしか考えられなくなっていた。

 

その団体用の個室は広さで言うとだいたい八畳ほどだろう。団体用の個室とは言ってもさして広いわけではない。個人経営の小さなカラオケボックスのため、対応できる団体の上限はたかが知れている。

 

部屋の戸から入って向かって左側に大きなモニターとカラオケの機器が設置されている。そして、その場所は階段のワンステップほどの高さで床から段差が付けられていて、マイクスタンドが二本置かれている。つまり小さなステージを想定したものになっている。

 

その向かい、部屋の戸から入って右側は、ステージに対して言えば客席のようなもので、ステージを取り囲む三面の壁には、合成皮革の長いソファーが壁に背もたれを密着させて、ステージに向かうようにしてコの字に並べられている。今、ぼくと小林くんはこの客席で、身動きをほとんどせずに息を潜めている。

 

ソファーが取り囲む中央、おおよそ部屋の中央にもなるのだが、そこには大理石柄の大きなローテーブルが置かれている。

 

ありふれたカラオケボックスの個室内のレイアウトだと思う。

 

そして、部屋の戸には、上半分のスペースに少し大きめの覗き窓が付けられていて、外の様子を見ることができる。ただ外の様子が見えると言っても、室内からは廊下の壁と天井がわずかに見えるくらいで、おそらくは客側の立場のものではなく、店側の都合から部屋を完全なる密室にはしたくないのだろう。

 

正体不明の妖しげな足音に怯えて、二人とも慌てて個室に駆け込んでしまったため、カウンター内の電気は付けっぱなしだった。

 

部屋の壁にある電気のスイッチを見据えながら黙りこくっていると、何か急に視界の端に動くようなものを感じて、ハッとして部屋の戸の覗き窓に目を向ける。覗き窓から薄っすらと、部屋の外のカウンター内に漂う淡い光が、天井や壁を伝って空間に漏れ出しているのがガラス越しに幽かに見えていたが、窓から具体的な何かが覗き込んでいるような様子は見えない。動いたと思ったものは、何かの光の屈折のようなものだったのだろうか。

 

階段を降りてきた足音はさっき確かに、ぼくたちが部屋に入った後、カウンターまで歩いてきていたし、冷蔵庫が開いたり閉じたりする音も、確実に聞こえていた。何か得体のしれないものが間近にいることは、たぶんぼくらの妄想ではないはずだった。小林くんはどうか知らないが、ぼくに霊感があろうがなかろうが、すでに足音が聞こえたり、冷蔵庫の開閉の音が聞こえたり、さらには実際に電気が消えだしたりしている時点で、それはもう否定のしようがなかった。だから覗き窓をまじまじと見てしまった後で、もし何かが外から覗いていたらどうするんだよ、なんで見たんだよ、と内心自分に怒りを感じつつ、後悔もしていた。

 

部屋の中にわずかな光を落とすライフラインのような最後の蛍光灯は、幸か不幸か一向に消える気配がない。ついさっきまでの、よだれを垂らして猛スピードで走ってくる猟犬の笑みのようなカウントダウンの気配は、ピタリと止んでしまっていた。部屋の中はまったくの無音状態で、天井に唯一光る細長い蛍光灯からだけ、ジーーーーっという音が聞こえるような気がする。

 

小林くんは、あれ以降まったく何もしゃべらないが、時折わずかにそのうずくまった影が、モゾモゾと動いているように感じた。

 

ぼくが立ち上がったままピクリとも動かず、天井の蛍光灯と壁のスイッチとに、交互に目を張り付けている時間がどれくらい続いたのだろうか。どんなに考えても、電気のスイッチを入れなおす勇気のゲージがたまらなかったし、一方で、今電気を消すのは危険だ、という何かの宣託か、あるいは自分自身の内なる制御もはたらいている気がしてならなかった。

 

気が付くと、小林くんがソファーの上に座り直してぼくの方を凝視している。その視線を感じて小林くんの方に目をやると、小林くんが見ていたのはぼくではなく部屋の戸だった。いや、正確には部屋の戸の覗き窓のようだった。

 

小林くんの表情がおかしい。

 

人間の表情には様々あって、ある程度は分類化されている。笑顔だとか、悲しい顔だとか、怒った顔だとか、あるいは無表情だとか。今の小林くんの顔はそのどれにも当てはまらないようなもので、強いて表現すればビショビショに濡れたような顔だった。目と鼻が歪んだようにぼやけていて、口角が垂れ下がり、口の力が緩んだように半分開いてしまっている。さらには口から舌先を出している。小林くんはあんな顔をしていただろうか。そして気のせいかも知れないが、走る電車の窓から景色を眺めている時のように、眼球が規則的に左右に揺れ動いているような気がした。

 

部屋の中に、腐敗臭のようなものが漂っていると、にわかに感じる。

 

壁のスイッチに再び目を戻すと、視界の端の覗き窓でまた動くものがあった。今度は確かに何かが動いているし、人の顔のような影が覗いているのが明らかにわかった。背筋で悪寒が暴走を始め、凄まじい恐怖でそちらに直接目を向けられない。どうしたらいいかわからずに、ゆっくり小林くんに目をやると、小林くんはじっと、覗き窓をおかしな顔をして見続けている。

 

いや・・・あれ・・・ちょっと待ってよ・・・小林くん・・・じゃない、よね・・・。

 

午前0時がやって来たので、誰も読んでいないはずの、本当は怖い階段の怪談、再び闇の中へ。

 

部屋の中のソファーに座って覗き窓を凝視しているのが、小林くんではない。それに気が付いた瞬間に、ぼくは急激に血の気が引いて、ソファーに倒れ込む。

 

おもむろに部屋の戸がガバッと開いて、中に光が差し込む。

 

「川田くん、何してるの!?」

 

入ってきたのは店長だった。その瞬間、彼女の体からは光がほとばしっているようにも見えたし、まさかと思うが背中に白い翼が生えているのも見えたような気がした。

 

その場を取り巻く重苦しい闇の気配がなくなり、体に強制的に被せられていた重い布をザバッと取りはらわれたみたいにして、フっと力が抜けて安堵の波が静かに押し寄せる。

 

店長が部屋の電気のスイッチを入れて、八本の蛍光灯が、煌々と部屋の中を照らす。

 

「店の向かいの坂田さんから電話がかかってきたんだよ。店を閉めて帰ろうとしたら、オタクのビルの窓がさ、こんな時間に一階も二階も三階も何かビカビカ光ってるけど大丈夫なのか?って。なんだかヤバイんじゃないのか?って。警察に言うよりもまず連絡したほうがいいかなと思ってさって。だから慌てて来てみたのよ。何があったの!?」

 

部屋の中にいたはずの小林くんの姿が消えていた。そして、さっきの一瞬、ぼくの目に映っていたのは、完全に小林くんではない、何か別のものだった気がする。確かなことはわからないし、店長に一体何から話していいのかもわからずに、ぼくはしばらくソファーに身を委ねたまま放心状態だった。

 

「ねえ、まさか、階段から何か、降りてきたんじゃないでしょうね・・・そうなんでしょ・・・?」

 

「はい・・・何かが、降りてきたと思います・・・。」

 

店長は顔をこわばらせて「やばっ・・・」と言ってから深い溜息をついた。そして、手に持っていた携帯電話でどこかに電話をかけ出していた。

 

店長の背後にはご亭主が立っていて、意を決したヒーローのような顔をして、部屋の中を睨みつけていた。

 

これで、本当にすべてが終わったのだろうか・・・いや、もちろん、そんなはずはなかった。

 

お題「怪談」

 

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月白貉