ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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スーパーヒーローは、本当にいるのか?

数十年、日本で生きてきて、スーパーヒーローに助けられたことがない。

 

数十年も生きていれば、小さいトラブルも大きいトラブルも、スーパーなトラブルもあるのが、人生というものだ。

 

だから時には、アメリカ映画に出てくるようなスーパーヒーローが、困難を抱える我が目の前に現れて、助けてくれてもおかしくないだろうと思うのだけれど、一向に現れないまま、今に至る。

 

悲しいことだ。

 

時々において、ちょっとだけ助けてくれる人は存在したこともある。もちろんそれは、ありがたいことだと思う。けれど、ほんとうにちょっとだったり、ちょっとプラスアルファだったり、結局は見放されて自分でなんとかしたり、その後自分でも何とかならなかったりして、途方にくれるケースが、圧倒的に大多数を占める。

 

それが人生と言われれば、なんのその。

 

ぼくが中学生の頃、池袋駅埼京線のホームで、柄の悪いチンピラみたいなイキがった学生たちが、まあ当時はヤンキーと呼ぶのかな、四、五人だったと記憶しているが、それがだ、普通の格好をして普通の学生帽をかぶったようなまじめそうな二人の学生を取り囲んで、「んだこら、テメー、殺すぞこらっ、線路にでも落ちろやっ!!!」という、ちょっと度を越した一幕を、別のホームから目撃したことがある。

 

ヤンキーのレベルが高かったせいもあり、ホームには人が溢れているにもかかわらず、誰一人止めには入らないのである。そういうのが、日本人の専売特許かもしれない。

 

悲しいことだ。

 

あれが自分の身にあることだったら、人生におけるとんでもないスーパーなトラブルだよなあと思いながら遠目で見つめていると、あるひとりの中年の男性が、その間に割って入ったのだ。

 

スーパーヒーローは、本当にいるのか?

 

「やめなさい!」と言ってヤンキーの前に立ちふさがるその男性は、ゆうに身長が二メートルはある、日本人の中で言えば巨人の部類だった。その男性が赤壁のごとくに、熱いオーラを纏ってヤンキーと普通のまじめな学生の間に立ちはだかった。

 

一人のヤンキーが男性に歩み寄り、「んだこらテメー、どけ、殺すぞ!」と啖呵を切ると、男性はそのヤンキーの胸ぐらをつかんだかと思うと、表情も変えずに、ヤンキーの体を軽々と、そして高々と自分の顔の位置にヤンキーの顔が並ぶぐらいにまで持ち上げた。そしてそのあと何をするわけでもなく、そのヤンキーを再びホームに静かに下ろしてから、「やめなさい。」と声を上げたのだった。

 

たぶんその持ち上げられたヤンキーも、それを見ていたヤンキーも、そのいろいろな意味での巨壁具合に圧倒されたのだと思う。それ以上その男性に無駄に絡むこともなく、ヤンキーたちはホームに到着した電車の中に姿を消した。もちろん、その巨壁な男性も、普通のまじめな学生も、ヤンキーが乗った同じ電車に乗ったので、その後のことは、まったく知る由もない。

 

けれど、ぼくの記憶に残るあの中年の男性は、まさにスーパーヒーローとしか形容しがたい存在となった。いまでもあの勇姿が、薄っすらとではあるが、脳裏に焼き付いている。

 

あれからもう数十年という歳月が流れるが、あの時に匹敵するスーパーヒーローは、自分事ではもちろん、他人事でも見たことがない。

 

あれがもし本当のスーパーヒーローだったとしたら、あるいは日本におけるスーパーヒーローは、もはやいなくなってしまったのだろうか。

 

スーパーヒーロー情報、随時募集します。

 

 

 

 

月白貉