ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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天皇と、ぼくと、ヒドロゾア。

天皇が生前退位の意向を示されたと、ある新聞社の表玄関に掲示された新聞の一面に書かれているのが、目に止まった。

 

その数日後、インターネット上の報道記事には、宮内庁などが進めている皇室典範改正を含めた議論は、陛下の早期退位を前提としたものではないことが分かった、と書かれていて、近々、天皇自らの声で、その意志が発せられるだろうと、締めくくられていた。

 

天皇だったり、あるいは天皇制のことに関しては、ぼくはその概要の欠片ほどの知識しか有していない。日常的かつ正直に言えば、日本には天皇がいるというただそれだけの、ずいぶんとぼんやりした意識くらいしか、持ってはいない。

 

ぼくと天皇との直接的な関わりと言えば、確かぼくが小学生の頃だったと記憶しているが、昭和天皇の病気平癒を願う記帳の為に、祖母に連れられて皇居に赴いたことだ。微かな記憶でしかないが、皇居の前に蟻の大群のような人々の行列が出来ていて、何時間も何時間もその行列に並びながら前進した末に、小冊子の中に区切られた長細い空間に、筆で自分の名前を書き記して、帰ってきた。あまり筆の扱いに慣れていなくて、ずいぶん不格好な字しか書けず、落胆したことを覚えている。

 

列に並んでいる最中には、ぼくと祖母の少し先に並ぶ老婆が「私が先に並んだのに抜かすな!私が先に並んだのに!」と叫んで周囲と揉め事を起こしていたり、何やら強制的に折り紙を配り歩いている女性がいて、有無を言わさずぼくにも折り紙を手渡してきたので、何かとたずねると「千羽鶴のための折り紙です。鶴を折ってカゴに入れてください。」と機械的に言うので、ぼくは鶴を折ることが出来ないのでと言って断ると、何だか見下したようにあざ笑われたり、記帳の最中には、皇居に向けて「天皇天皇!」と泣き叫んでいる老人がいて、数人の警備員に制止されていたりした。

 

その後しばらくして、天皇崩御された。

 

昭和天皇が生物学者として、ヒドロ虫や変形菌の研究者でもあったということをぼくが知ったのは、天皇崩御されたずっと後のことだった。変形菌についてはぼく自身も少しだけ知識を有していたが、ヒドロ虫というものに関しては、当時は見たことも聞いたこともないものだった。ただヒドロ虫にしても変形菌にしても、人間の姿に比べれば非常に特異な容姿を持った生物で、その生態にしても人間とはまったくかけ離れている。日本の象徴とされている天皇が、本当に目を向けていたかったものは、いったい何だったんだろうと、その時にふと思った。

 

Haeckel Campanariae

 

ぼくがこの後、いったいどのくらい、いわゆる今の生の状態でこの世界にとどまるのかはわからない。生に後や先があるのかもわからないし、本心を言えば、今の生はもう十分じゃないのかとも思っている。世界中はいつだって動乱や悲しみや憎しみに溢れていて、おそらくは今も昔もそれほど変わることはないだろう。人間はそういう動乱や悲しみや憎しみを負のものだと言って嘆く素振りを見せながらも、本当は、どこかの動乱や誰かの悲しみや憎しみを糧として生きている。他の生物どころか、隣の誰かを踏み潰すことも、本質的には厭わないし、望んでいる部分がある。

 

ぼくには今、未来に残すべき自分の子供はいない。もちろんそれは、今自分自身が望んでいないからということもあるだろうが、もしいずれ自分の子供を未来に残す時が来たとしたら、こんな世界の先に子供を歩かせることに、大いなる恐怖を感じるんじゃないのかと思う。子供を持つことが人間の最大の喜びであり幸せだとしても、それはその子供たちの喜びや幸せが存在しうる世界が、いまここからきちんと見渡せることが、そう思える世界の景色がぼんやりとでも自分の目で見えることが、前提の話じゃないのだろうか。

 

かつて昭和天皇が、有明海の干拓を憂いて残した句がある。

 

「めずらしき海蝸牛(うみまいまい)も海茸(うみたけ)もほろびゆくひのなかれといのる」

 

我が侭を生きる人間という生物が滅びていなくなってしまえば、誰かが世界を憂う日も、きっとなくなるだろう。

 

 

 

 

月白貉