ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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蜩サマータイムブルース

ヒグラシの声が、聞こえる。

 

東京のど真ん中に住んでいた頃には、ヒグラシの鳴き声なんて、ほとんど聞くことはなかった。

 

ずいぶん昔のことだが、毎年毎年夏休みになると、家族で群馬県水上温泉に旅行に出掛けて、数日間滞在していたことを、今でも時々思い出す。

 

早朝から川遊びに興じ、狂ったように野山を駆け回り、太陽に焼かれ、気が付けばあっという間に夕暮れ。

 

帰り道で聞こえてくる、ヒグラシの鳴き声。

 

あの気怠さと清涼感の、遠い日の記憶。

 

東京を去るちょっと前、一日中街を歩き、クタクタになって通りかかったのが、明治神宮の裏の、誰もいない車道。

 

鎮守の森の奥で、ヒグラシが、鳴いていた。

 

空を仰いで、子どもみたいな大声で、「わ〜、ヒグラシだ!」って叫んでいる自分がいた。

 

いつになってもぼくの原点は、あのヒグラシの鳴く、帰り道にある。

 

東京にひとりで暮らし始めて、しばらくたった頃、いろんなことに疲れ果てて、用もないのに実家に電話をかけると、今は亡き祖母が電話に出た。何を話したかは、もう忘れてしまった。でも最後にこう言われた。

 

「いつでも帰ってきてよ。」

 

陽が暮れたら、お家に帰ろうよって、きっと素敵なことがあるよって、ヒグラシはうたっているんだろうなあ。

 

蜩サマータイムブルース

 

 

 

 

月白貉