ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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人形アパートメント

躊躇いながらも再び携帯電話を手に取ると、電話の着信表示は実家の母のものだった。

 

「もしもし、ヒロユキ、夜遅くにごめんね、もう寝てた?」

 

母の声は明らかに何かの緊張感を含んでおり、早口で上ずっていた。

 

「いや起きてたけど、こんな時間にどうしたの、何かあったの?」

 

携帯電話を耳にあてて母と話を続けながらも、何故か玄関のほうが気になってそちらに目線を向けてしまうが、いつもと変わらない薄暗い空間にドアが浮かび上がっているだけで、特に変った様子はない。

 

「いやね、さっきミーちゃんが電話かけてきてさ、遅くにどうしたのって聞いたら、あんたからメールが来て、まったく何も書いてないメールでね、廃墟みたいな家の写真だけが送られてきてるから怖いって、だからその意味を聞きたくて何度も電話してるんだけど、圏外だかで繋がらないって。変な人形も写ってて気味が悪い写真だから、何かの悪戯なのかって、ちょっと怒ってこっちに電話がかかってきてさ。」

 

一瞬背筋を尋常ではない冷気が突き抜けて、両腕に波打つような鳥肌が押し寄せる。

 

「ちょ、ちょっと待って、直接ミカに電話するから、一旦切るよっ!」

 

母の返事も聞かずに電話を切り、先ほど見知らぬメールアドレスから送られてきた近所の廃屋の写真を恐る恐る確認してみる。手ブレのためか画面半分が少しぼやけていて確かに気味の悪い写真だが、人形らしきものはどこにも写っていない。しかし頭の中ではもうすでに、さきほど部屋の中で姿を消したままのおかしな操り人形の存在と、ミカに送られてきた写真の人形を関連付けてしまっているため、何か得体のしれない恐怖が自分の体を取り巻いてしまって離れない。

 

すぐに携帯電話のアドレス帳からミカの電話番号を探しだして、発信ボタンを押す。携帯電話のスピーカーからプルルルル、プルルルルという呼び出し音が聞こえるが、何故か右耳の奥の奥までこだましてゆくように、音が反響してダブったように聞こえてくる。

 

その時、あることに気が付く。こちらがかけている呼び出し音と同じタイミングで、玄関のドアの外から携帯電話のプルルルル、プルルルルという着信音が聞こえてきている。ダブって聞こえているのはそのためだった。

 

「えっ・・・。」

 

ミカは電話にはまだ出ていなかったが、驚いて咄嗟に電話を切ると、ドアの向こうから聞こえてきていた携帯電話の着信音も同じタイミングで聞こえなくなる。ミカはここから数百キロも離れた場所で暮らしていて、もちろんここに来るはずも、いるはずもなかった。

 

「えっ・・・。」

 

携帯電話を握った手を宙に浮かせたまま、薄暗い玄関のドアの方に顔を向けたまま、この後どう体を動かしていいのかがよく分からなくなり、しばらく体を硬直させてドアを凝視する。先程までは部屋の外の街のノイズが、車の音や風の音や、そういうものが聞こえていたように思っていたのだが、いまは完全に無音状態になっている。もちろん、ドアの向こうからもまったく何もきこえなくなった。しかし、そこに携帯電話を手に持った誰かがいるような気配だけは、吐気がするほど濃密に漂ってくる。

 

すると、玄関のドアノブが音もなく回転したり戻ったりしていることに気が付いて、息を呑む。

 

誰かが、玄関のドアノブに手をかけ、ドアを開けようとしている。

 

電気の消された玄関の薄暗さと、今の恐怖感が生み出した錯覚かとも思い返してみるが、確実に何度か、ドアノブが回転したり戻ったりしていた。確認できただけで三回、ドアノブはその動きを繰り返したが、いまは動かなくなった。

 

「ピンポーン、ピンポーン」

 

玄関のインターホンのチャイムを鳴らす音が沈黙を引き裂き、思わず「わっ!」と声が出てしまう。

 

玄関のドアの横の、曇りガラスの小窓から、人の頭のような影がこちらを覗き込んでいるのを、一瞬だけ目に捉える。

 

いったい今、ここで何が起こっているんだ。

 

人形アパートメント

 

 

 

 

月白貉