ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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雨傘タルコフスキー

「私、傘二本持ってるから、よかったら使ってください。骨が少し曲がってて、もう捨てちゃうつもりだったけど、まだ生きてるし、けっこう笑顔が可愛い傘だから、もしよかったら持って帰ってください。捨てちゃうつもりだった私は、もうたぶん嫌われたから。」

 

土曜日の夕暮れ、近所のスーパーマーケットを出ると、外は酷い雷雨だった。

 

何とか家まで走って帰ろうと思って試してはみたのだが、風も雨もあまりにも強くて、すぐに心が少し折れ曲がり、目に付いた小さなアパートの駐輪場に駆け込んだ。もう体はずぶ濡れだったから、このまま濡れて帰っても変わりはないのだが、ぼくはリュックに一眼レフのカメラを入れていたので、それが気になったし、立ち向かうには激し過ぎる雨だと、打たれてみてそう感じた。

 

すぐにはおさまりそうにない煙の渦みたいな嵐の空を見上げていると、アパートの一室のドアが開いてグレーの雨合羽を着た女性が出てきた。

 

彼女はおそらく日本人だったが、グウィネス・パルトロウに瓜二つだった。そしてグレーの雨合羽がすごくよく似合っていた。

 

グレーの雨合羽には、生々しいくらいに彼女の体のラインが浮き出ていて、もしかしたらあの雨合羽の下は裸なんじゃないだろうかと、想像してみた。

 

「あ・・・、どうもありがとう、じゃあ、傘、使わせてもらいます。すごく助かります。でも、晴れた日に、傘、返しに来ますよ。いやあの、きみの家にってことじゃなくて、この駐輪場の脇にでも下げておくから。たぶんまだ、嫌われてはいないと思うから。」

 

彼女は笑みを浮かべて困ったようにうなずいてから、馬に乗るみたいにしてさっそうと自転車にまたがって、嵐の中に疾風のごとく突っ込んでゆき、すぐに濃密な雨の線の中に織り込まれてしまった。

 

彼女に手渡された傘を開いてみると、たしかに数ヶ所の骨が折り曲がっていて、開く途中で何度も痛々しい息を漏らした。彼女は笑顔が可愛いと言っていたけれど、初対面のぼくに対してもその笑顔をみせてくれるほど、器用な傘ではないようだった。考えてみればぼくだって、初対面の人に対して、本当の笑顔や本当の痛みをすぐに出せるような器用さは持ち合わせていないから、傘の気持ちが少しだけだけれど理解できた。

 

たぶん傘は、自分が彼女のことを嫌いになったと彼女に思われていることが、ひどく悲しかったんじゃないだろうか。もしくは、彼女の言葉がもし本心ではなかったとしても、ぼくのような見も知らぬ人間に対して、あんなことを言ってほしくはなかったのではないだろうか。

 

傘は、苦虫を噛み潰したような顔を終始浮かべていたが、それでもぼくを嵐から守ってくれた。

 

家に着くと、マンションの入口の駐輪場に、真っ赤な傘をさした店長が棒きれみたいに突っ立っていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、つっちゃんにさ、この間話した映画のDVD貸そうと思ってさ、他の用事のついでにチャリでここに来る途中に、大雨降りだしてさ。図書館の入り口の前で雨宿りしてたら、綺麗な女の子に傘貸してもらっちゃって、チャリは図書館においてここまで歩いてきたんだけど、つっちゃん家にいないから、十分リミットで待ってみようと思ってたら、ちょうど十分ギリギリで帰ってきたってのが、今の状況。」

 

「そうなんですか、ずぶ濡れじゃないですか・・・、タルコフスキーの映画持ってずぶ濡れになるなんて機会、あまりないかもしれませんね。」

 

「なかなか貴重だろ。それに傘貸してくれた女の子、たぶん日本人だと思うけど、ロシア人みたいな綺麗なこだったし、ハーフかな。」

 

「奇遇ですね、ぼくもこの傘、グウィネス・パルトロウにそっくりの女の子に、さっきそこで借りたんですよ。そのこもたぶん、日本人だと思いますが。」

 

「奇遇だな、でも結局、世界に奇遇以外の事なんて、ほんのちょっぴりしかないだろ。九十九%くらいが奇遇で、あとは水分だろ、きっと。」

 

「そうですね。」

 

雨傘タルコフスキー

 

 

 

 

月白貉