ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

ローデンスタインの太陽

この五日間で、思いもよらず物語は大きな展開をみせる。ぼくがこれから生きてゆく上でとても大切なことが、ふたつ動き出した。

 

真夜中の広野を進む疲れ果てたぼくはある日、薄明かりをたずさえたキャラバンに遭遇する。

 

すれ違うそのキャラバンの中に二人、不思議な鉱物を首に下げた盲目の僧侶が混じっている。そしてすれ違いざまに、二人の僧侶それぞれがぼくにこう告げる。

 

「それは、突然にはじまるのです。」

 

「今が、その時です。」

 

不意に両足に何百キロという足枷を課せられたような重みを感じる。けれどそれさえも苦にはならない浮遊感を同時に感じる。この感覚を、ぼくは長い間忘れていた。

 

羽のロウが溶けてしまうほど高くは望まない。でも、もっと高く。

 

f:id:geppakumujina:20160701074527j:plain

 

 

 

 

月白貉