ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。【 第二話 】

モーニングのヨーグルトが味噌汁にチェンジされる喫茶店にもう一度行きたくなって、その為だけにバスに乗って山を下りる。

 

店に入ると、やはり客は初老の男性がひとり。前回見かけたのと同じ人物のようだった。

 

そして再び、一番品数の多い三番目のモーニングを注文する。メニューにはやはり、ヨーグルトが味噌汁にチェンジできますとあったが、チェンジの希望は伝えていない。もちろん店員はシド・ヴィシャスな彼女だったが、その日はもう一人、別な女性も店内で働いていた。

 

窓際の明るい席を陣取ったぼくのテーブルにモーニングが運ばれてくる。トーストにオムレツ、ハムとキュウリとトマトとレタスとキャベツの千切り、そしてポテトサラダ。トーストにはジャムが添えてある。しかしやはり、ヨーグルトの場所にはワカメの味噌汁が置かれていた。

 

このモーニングにヨーグルトの選択肢なんてものが、果たしてほんとうに存在するんだろうかと少し不安になるが、シド・ヴィシャスな彼女はやはりそのことについては何も語らず、ぼくも何も語らずに、モーニングを食べ終えた。

 

ぼくの意志には反して、ヨーグルトが味噌汁にチェンジされている。普通であれば、そこに何らかの不快感を覚えるだろう。しかしなぜだかわからないが、そこには不思議な快適さのようなものが芽生え始める。それはマゾヒズムのような具体的で激しいものではなく、どちらかと言えば意味不明な事柄の持つ目に見えない柔らかさのようなものだろうと、ふと思った。

 

モーニングを食べ終えてから、カップに半分ほど残った冷めたコーヒーをすすっていると、ぼくより先に店にいた男性のテーブルに食事のようなものが運ばれてきた。ぼくが店に入った時から今まで、彼は特に注文はせずに、窓の外を静かに眺めながらほとんど動かずに席に座っていたので、もうすでに朝食を終えて、ぼんやりとくつろいでいるのかと思っていたのだが、どうやらこれから食事を始めるようだった。

 

彼のテーブルに置かれたものに何気なく目をやると、それはどうもメニューにはない品のようだった。大量の野菜、特にキャベツの千切りがこぼれるくらい山ほど盛られた白いプレートが二皿と、別皿にのせられたトーストが二枚。ぼくの注文した品数の多い三番目のモーニングでも、ボリュームとしてはそこそこ腹の膨れるものだったが、彼の分量は、こと野菜に関して言えば軽くその十倍はあるように見えた。

 

彼はそれをゆっくりゆっくりと時間をかけて食べながら、時々窓の外に目を向けていた。ぼくはその光景をコーヒーをすすりながらずっと眺めていた。

 

彼は食事を終えると同時に、厨房の方に向かって右手をかるく上げた。すると彼の右手が上がり切るのとほぼ同じタイミングで、シド・ヴィシャスな彼女が彼のテーブルに小走りで駆け寄り、どうやらテーブルで食事の会計をしているようだった。暫くの間、彼はこちらには聞こえない内緒話のようなとても小さな音量で、彼女になにか話しているようだったが、その内容はまったく聞き取れなかった。その会話の途中で、シド・ヴィシャスな彼女が一瞬だけチラリとぼくの方に目を向けた気がしたが、会計が終わると、彼は椅子の背もたれに沈むように寄りかかり、またほとんど動かなくなった。

 

シド・ヴィシャスな彼女が、男性のテーブルから厨房に戻りがてら、ぼくのテーブルの皿を片付けていったのだが、その時にふと気付いたことがあった。

 

ぼくのモーニングに盛られたキャベツの千切りが、前回の時に比べて少し多すぎやしなかっただろうかということだ。そんなことを思いながら、店を出ようと席から立ち上がり老人のテーブルの横を通り過ぎると、ふいに背後から彼が声をかけてきた。

 

「野菜は、どうでしたか?」

 

その声に反応して振り返ったぼくは、咄嗟のことでよく意味を把握できなかったが、野菜の味はどうだったかということだと瞬間的に判断して、「あ、はい、美味しかったです。」とだけ答えた。すると彼は「そりゃよかった。」とだけ言って、黙って目を瞑った。その短い会話が目に見えない空間の隙間に急速に吸い込まれていったので、ぼくは彼にかるく頭を下げて、会計を済ませて店を後にした。

 

しばらく目的もなく街を歩きながら、喫茶店でのモーニングのキャベツの千切りの量のことを思い返してみた。

 

もしかしたらあの老人が、どんな方法でかはわからないが、野菜不足かもしれないぼくに配慮して、「あちらの男性にもより多くの野菜を。」と、店側に伝えてくれていたのかもしれないと思った。だとしたら、彼の言葉に対するぼくの答えは間違っていたことになる。けれど、ぼくは日常的に十分に野菜を摂取しているから、もし彼の行動が事前に察知できていたなら、「お心づかい感謝します、けれど、ぼくは日々野菜をじゅうぶんに摂取しておりますので、ご心配には及びません。」と言って、キャベツの千切りの増量を断っていたかもしれない。しかしあるいは、彼のせっかくの厚意を無駄にしてはいけないと思って、彼の行動を知りながらも、何も言わずに静かにそれを受け入れていたかもしれない。いずれにせよ、あの老人が食べていた大量の野菜と、ぼくのモーニングに増量されていた野菜の間には、何かしらの関係と、そして意味が隠されているはずだった。

 

これでまたあの喫茶店に行く理由が増えた。

 

モーニングの味噌汁がヨーグルトにチェンジされることがあるのかを知るためと、そしてあの老人が客の野菜不足を気遣っているのかどうかを知るためだ。

 

どんなことにも表面的には見えない意味が隠されている。ヨーグルトにも味噌汁にも、キャベツの千切りにも。

 

今日の風は少し冷たいけれど、風は少し冷たいくらいのほうが、ぼくは好きだ。

 

ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。【 第二話 】

 

 

 

 

月白貉