ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。【 第一話 】

島根県の山奥に暮らし始めて半年が過ぎた。

 

その日は仕事のため、とある農業法人が開催するイベントに参加しなくてはならず、久しぶりに山を下りる。

 

ぼくの暮らす山間の小さな町からは、日に数本程度しか運行していないバスに乗って、駅のある市の中心部まで三十分ほどかかる。イベントは島根県鳥取県の県境にある場所で行われるため、駅で汽車に乗り換えて二時間ほどの場所までゆかなければならないのだが、汽車の本数は少なく、駅での待ち合わせにずいぶんと時間が空く。早朝に家を出てきたのでまだ朝食を済ませていなかったぼくは、駅前の喫茶店で朝食をとることにした。

 

「モーニングあります。」

 

喫茶店やレストランで朝の時間帯限定で提供される割安価格のサービスメニューを日本ではモーニングサービス、略してモーニングと呼ぶ。いつ頃から使われるようになった言葉かは知らないけれど、もちろん和製英語だと思う。おそらくアメリカやイギリスでは、そんな名称の飲食サービスはないはずだ。

 

モーニングは地域や店によって様々なバリエーションがあり、シンプルなものだとトーストだけ、すこし豪華になると例えばトーストにハムエッグにサラダ。もちろんそこにはコーヒーがついてくる。もしかすると、モーニングとは朝のコーヒーが主役で、値段はコーヒーの一杯分ですが、朝ならもれなくそこにサービスとしてトーストが付きますよ、というのがモーニングの始まりなのかもしれない。

 

喫茶店の扉を開くと、取っ手にぶら下がった鐘がカランカランと鳴り響く。店内の客は初老の男性がひとり。白を基調とした明るい雰囲気の店で、所々には背の高い観葉植物がいくつも置かれている。店員は奥で調理をしているらしく、ジュウジュウというフライパンで何かを焼く音が聞こえてくる。

 

東側の明るい窓際の席に腰を下ろして再び店内を見回す。何の変哲もない、ごく普通の喫茶店に見えるが、しばらくして水を運んできた店員の女性は、黒の革ジャンに黒の革パン、そのどちらにも子鬼の角みたいなシルバーの鋲が無数に散りばめられている。

 

テーブルの上に置かれたメニューには、幾つかのモーニングの種類が書かれている。

 

トーストのみのもの、トーストにオムレツが付いたもの、そしてそこにさらにサラダとヨーグルトが付いたものの三種類。それ以外に別メニューとしてサンドイッチも出来るようだ。三番目の品数の一番多いモーニングのメニューの下には、「ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。」と書き加えられている。

 

ぼくが三番目のモーニングを注文すると、店員の女性は「はい。」と言ってカウンターの奥にある厨房に戻っていった。メニューにはヨーグルトが味噌汁にチェンジできるとあったが、ぼくはヨーグルトのままでよかったので、チェンジの希望は伝えなかった。

 

厨房の奥から、食器をカタカタと鳴らす音に混じって鼻歌のようなものが聞こえてくる。ぼくはしばらくその鼻歌に耳を傾けてみる。あれはたしかセックス・ピストルズのサブミッションじゃないだろうか。彼女の風貌の意味が何となくわかった気がした。ジョニー・ロットンでこそなかったが、シド・ヴィシャスではあった。銀色の尖った鋲をあしらった革の上下が喫茶店の仕事に向いた服装かどうかはよくわからない。けれど彼女がそこにきちんと意味を持っているのなら、それはそれで悪くはない。そして、サブミッションを歌いながらモーニングを作ってくれる喫茶店は、日本中探してもそうはないはずだ。

 

外見にばかりこだわる日本人は、内側の意味をきちんと理解しようとしない。そして見た目だけで物事を判断し、それを安易に批判する傾向にある。同じ色の同じ形のスーツを着て、皆と同じようなマニュアル通りの言動をしていることがなによりも正しい。いざとなったら群衆に紛れて首を縦に振っていれば何とかなると思っている。そんな今のこの国に、ほんとうに明日など見えてくるのだろうか。

 

モーニングがテーブルに運ばれてくる。トーストにオムレツ、ハムとキュウリとトマトとレタスとキャベツの千切り、そしてポテトサラダ。トーストにはジャムも添えてある。しかし、ヨーグルトだと思っていたカップには、チェンジはしていないワカメの味噌汁が入っている。

 

そのことについてシド・ヴィシャスな彼女は何も言わず、ぼくもそのまま、何も言うことなくそのモーニングを食べ終える。

 

味は普通だが、バランスもよくボリュームもあり、 悪くないモーニング。ただ一点、ヨーグルトが味噌汁に、チェンジされていた。「ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。」というのは、客側が選べるシステムの説明ではなく、店側の実行権としてチェンジできます、という意味だったんだろうか。もしくは文脈として、「ヨーグルトが味噌汁にチェンジで、来ます。」ということだったんだろうか。そんなことを考えながら、モーニングの代金を支払って店を後にする。

 

生きるという日々の中には、よく意味のわからないことがたくさんある。それが快適に感じることもあれば不快に感じることもある。ただそれが快適だろうが不快だろうが、そういう意味不明な事柄が、日々を過ごす意味の糧になっている。生きている意味ってものは、意味不明なものを喰らって、生きているのだ。

 

駅のホームのベンチに座って虚空を見ていると、空でジワジワと太陽が動いていることに気が付く。いや、ジワジワと動いているのは地球だっただろうか。そういうことだって、結局は意味不明な事柄でしかない。

 

きょうはずいぶん、暑くなりそうだ。

 

ヨーグルトが味噌汁にチェンジできます。【 第一話 】

 

 

 

 

月白貉