ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ヒビワレシロハツ(Russula alboareolata)- 松江城マッシュルームマップ -

夏を目前にして、何だかジメジメと鬱陶しくて、洗濯物がなかなか乾かなくて一年間お風呂に入っていない犬のように臭くなったり、数日前に買ってきた食パンにカラフルなカビが生えたり、部屋中のいたるところが湿っていてナメクジが這い回っていたりする今日この頃であるが、

 

世間ではそれを梅雨というらしい。

 

山陰と呼ばれる地域に位置する島根県は、梅雨だろうが梅雨ではなかろうが、まあ一年中とんでもない湿気に覆われているので、東京に暮らしていた頃を思えば、今が梅雨だろうが梅雨ではなかろうがさして大きな差異はなく一年中梅雨のようなものなので、ピンポイントの梅雨などという季節はもはやどうでもよくなってしまったというのが正直なところではある。まあ突っ込んで言えば、山陰地方以外が梅雨だ梅雨だと騒いでいる頃の山陰はもうそんな生易しいものではなく、「梅雨」どころか「松竹梅雨」とでも言うべきお祭り騒ぎである。

 

この時期、押し入れに忍ばせた「水とりぞうさん」などは一瞬にして水で満たされてしまうので、もはや押し入れに波々溜まった水を小さな容器で掬っているようなものであって、まったくもってあの程度では意味を成さない。そのため山陰地方では地域限定の「500リットル水とりぞうさん」なるものが出回っていて、高速のサービスエリアなどでは名物となっているが、珍しがっておみやげに買っていっても、湿気の少ない他地域では、たとえ普段より湿気の多い梅雨時であっても押入れから500リットルもの水を吸い取ることは不可能に近いのでお気を付け願いたい。

 

【ケース販売】 水とりぞうさん 550ml 3個パック×15セット(計45パック)

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そんなデメリットしかないような季節だとして忌み嫌われている梅雨であるが、ちょっと目線を変えるだけで、世界はがらりと姿を変える。その目線のひとつは、まあ「きのこ目線」だということである。

 

そんなわけで、待ちわびていたきのこたちの梅雨から始まる「松江城マッシュルームマップ」を今年も本格始動させてゆきたいと思う。

 

というわけで、今回のハンティングきのこは「ヒビワレシロハツ」である。

 

ヒビワレシロハツ(Russula alboareolata)- 松江城マッシュルームマップ -

 

 ベニタケ科ベニタケ属のきのこで、学名を「Russula alboareolata」、漢字で書くと「罅割白初」である。

 

夏から秋にかけてシイやカシなどの広葉樹林に単生または群生するきのこで、傘の径はだいたい4cmから8cmほど、傘の色は白色であるが写真の個体もそうであるように中央部分がやや黄色みを帯びることがある。柄も同様に白色である。傘の表面は粉状で細かくひび割れており、それが和名の由来ともなっている。

 

毒性に関しては不明だが、今回は見た目だけで容易に同定が可能だったため、かじって味見はしていない。食用に関しては文献によって様々であるが、食べられなくもないとの意見が多いように思う。ただしそこはまあ自己責任で。

 

さて、和名にもなっている「罅割(ひびわれ)」とはいわゆる「亀裂」のことであるが、亀裂というと字のごとく亀の甲羅模様のような裂け目ということである。物質的な裂け目にも用いられるし、たとえば目には見えない感情や精神の裂け目としても用いられることもある。

 

日照り続きで亀裂が生じた自宅前の水田の管理を切欠に、ぼくと父との間に埋めることのできない大きな亀裂が生じた。

 

などというシチュエーションがあるかどうかはわからないが、物質的な亀裂とそうではない亀裂を同時に使用する例文はこのようになるだろう。

 

「鶴は千年亀は万年」という喩えもあるように、亀はずいぶんと長生きな生き物だとされているが、物質的な自然現象としての罅割はおそらくは生き物である亀よりもはるか昔から存在するように思う。例えば大地にできた裂け目のことを「地裂」と呼ぶならば、後から出現した亀の甲羅の模様は、先に生じていた罅割である地裂に例えられてもいいようなものであるが、「亀の甲羅はまるで地裂のようだ」という表現は、ぼくが知るかぎりではほとんど使われていない。反対に「あの水田の罅割はまるで亀の甲羅模様のようだ」という表現は使われていて、それを短縮形にしたものが「水田の亀裂」となるのだろう。

 

もしその言葉が成り立つのであれば、「あの亀の甲羅はまるで地面の裂け目のようだ」という表現を短縮化して「亀の地裂」あるいは「亀の甲羅の地裂」という表現を使ってもよさそうなものであるが、誰が決めたのかあるいは時の流れなのかどうか知らないが、地裂よりも亀裂に軍配が上がっている。

 

「家族間の亀裂」とは言うが、「家族間の地裂」とは言わない。

 

言葉というのは不思議なものである。

 

とまあそんなこんなで、毎度のようにヒビワレシロハツとはまったく関係ない話に及んでしまったが、世界は目には見えない膨大な糸で繋がっているということであろう。そういう意味では亀裂も地裂もヒビワレシロハツも繋がっているのである。

 

 

 

 

月白貉