透明スライムベス
夢とか希望とか幸せとか、まあ言葉としてそんな具体的なものではなくとも、そういうぼんやりとした光の道筋みたいなものに関しては、ぼくはぼくなりに考えているし、手探りではあるが、きちんと這いつくばってそこを歩いている。
悪いけれど、まあべつに悪くもないけれど、ぼくなりには歩いている。
そう、ぼくなりというものがあるのだ。それを誰かにつべこべ言われる筋合いは、まったくもってございません、と時々叫びたくなるようなシチュエーションというものがある。
そう、つべこべ言われる筋合いは、まったくもってないのである。
そして誰かの夢や希望や幸せについて、つべこべ口を出すほど、ぼくは野暮でも暇でもない。
もしぼくがそれを語るんだとしたら、その時隣にいるただひとりだけ。それでほんと十分。まったくもって十分。もし隣の人が迷惑ではないのなら。迷惑なら多少は遠慮するだろうが。
こころに描くことを、少しずつではあるけれど手のひらに包み込んではいる。そういう小さな透明な継続性が、ぼくは夢とか希望とか、あるいは幸せだと思っている。ほんとうのことを言うと、ほんとうはそう思っている。そしてそういうものが、ほんとうのことだと思っている。けっして誰かには見えないことが、ほんとうはほんとうのことなのだ。
隣にいるきみは知っているはず、いつもぼくが手のひらの上で転がしている、97パーセントくらい透明の、柔らかくていびつな塊のことを。
あれがぼくの夢や希望や幸せで、ほんとうは、ほんとうのことなんだよ。
月白貉