ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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池袋ドランカー

久しぶりに日本酒をたらふく飲む。

 

二人で一升だから、まあそこそこの量だ。

 

自分にはひとりでも一升ほどなら許容範囲内だが、ちょっとピッチが早かったせいか、あるいは体調のせいか、次の日撃沈する。しばらく活動すると気持ちが悪くなる。鏡を見たら顔が真っ白だった。

 

若かりし頃、とんでもない量の日本酒を飲んだ帰り道、気がつくと真夜中の池袋駅のトイレの手洗い場の鏡を凝視していたことを思い出した。

 

背後には肩を叩く駅員。

 

「もう駅は閉まっていますから、出てください。」

 

社員用の通用口から追い出された、まだ酔いのさめていないぼくは、なぜか家とはまったく逆の方向に歩き出したらしく、真夜中の東京、見知らぬ街角を延々と歩き回ることになる。

 

でも明け方にはなんとか家にたどり着く。どう帰ったのかは覚えていないが、きちんと歩いて帰っていた。

 

シャワーを浴びるために服を脱ぐと、はいていたベルボトムのジーンズの裾がぼろぼろに破けていた。

 

そしてその日の夜も酒を飲んでいたりする。

 

なんだかそういうのって、ぼくの生き方を象徴している気がする。

 

池袋ドランカー

 

 

 

 

月白貉