物体フェイスブック
きょう、ちょっとしたFacebookの操作ミスで、この一年くらいにアップした90枚近い写真と、その写真に寄せた言葉が消え失せてしまった。
写真は手元に残っているから、またあげなおせばいいけれど、その写真に寄せた言葉は、もう戻ってはこない。
たぶん同じ写真を改めてみても、違う言葉が浮かんでくるはず。もとには、もどれない。
でもしばらく考えていたら、それはあたりまえのことだなあと、そう思った。
毎日、そして毎日、自分の中にはたくさんの言葉や思いが生まれてくる。
誰に話そうが話すまいが、それは自然に生まれてくる。時には文字に記すだろうし、言葉に発するだろう。ほとんどは、浮かんできても忘れてしまう。運良く記されていた少しの言葉も、誰の目に触れることもなく、消えてしまう。
言葉や思いは、結局、誰かへのものじゃなくて、もしかしたら自分へのものでもなくて、誰のものでもない。じゃあ、べつに消えちゃってもいいじゃないか。
何のためのものでもなくて、でも存在はしていたもので、ちょっと愛おしかったもの。そのうち忘れてしまうもの。そして消えてしまう。
最初から、なかったものかもしれない。
さて、もう眠ろう。
月白貉