ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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有楽町ヌードル

明くる日、用事で訪れた有楽町で、朝と昼兼用にラーメンを食べる。

 

カウンター席だけ八席ほどの、小さなラーメン屋。

 

おそらく七十代くらいじゃないかと思われる大将と、大将よりいくらか若作りに見える奥さんのような女性の二人で経営する店。

 

少しだけ油の浮かぶ、さっぱりの和風出汁に少し固めの細麺。具は、刻み葱と三つ葉と支那チクと半熟たまごと、大きくて柔らかい煮豚。値段は六百五十円。

 

大将の体の幅くらいしかない厨房で、腰を曲げて麺の湯切りをする大将の後ろ姿が印象的だった。

 

二人同時に注文しても、三人同時に注文しても、大将は麺茹でから盛りつけまで、一杯ずつしかこなさない。そして、その一杯一杯を自分の手でお客さんまで運んで、「どうぞ、大変おまたせしました。」と深々頭を下げながら、ラーメンで満たされたどんぶりを差し出してくれる。

 

あっさり薄味ながら、麺の量とスープの量のバランスもよく十分に満足でき、脇を固める具材たちも主役を邪魔しない見事な配分。箸で切れる柔らかい煮豚は、唯一具材の中で見た目にも味にもずいぶんと力のある存在で、このラーメンの隠れた主役となっている。麺も具も食べ終えたあと、スープも最後まで飲み干せた実に完成品。

 

でも、このラーメンの本当の主役は、やっぱり大将。

 

少し震えてかすれた高めの音域で、「大変お待たせしました」、そして「ありがとうございました」と、客のひとりひとりに、丁寧に言葉をかけること。仕事の立ち姿というか、ラーメンに対する、あるいは客に対する立ち向かい方がひしひしと感じられるその姿。

 

いつも思うけれど、食べ物屋ってものは、そうあるべきだ。

 

味よりも何よりも、まずは心意気だと思う。本当の心意気があったなら、まずいものが出てくるはずはない。

 

有楽町ヌードル

 

 

 

 

月白貉