ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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日常ヴァンパイア

激しい睡魔に襲われて、床に倒れ込む。

 

自覚がないけれど、何かの澱のようなものが、ずっしりと体にたまっているのかもしれない。

 

狂った環境の中では、自分が狂っていることさえも、まったくわからなくなる。経験済みだから知ってること。人は経験からしか学べないし、そして経験して学んだからといって、それが確かなものなのかさえも、さっぱりわからない。

 

何かを理解したと思っている時点で、たいていの場合は何かが狂っているのだ。

 

気付けばぼくの家の本棚は、ヴァンパイアを題材にした映画のDVDで溢れている。

 

地球外生命体を題材とした映画が大量に製作されている昨今、その裏には近々、地球外生命体の存在が公開される時期が迫っているという話がある。一方で、ヴァンパイアを題材とした映画も大量に製作されている。

 

ということは、ヴァンパイアの存在が公にされる時期も迫っているということだろうか。

 

ヴァンパイアは日常的に存在すると思う。ずっと昔から、遥か太古から、実に身近にヴァンパイアは存在すると思う。

 

なぜなら現にぼくは、そのひとりと生活を共にしているからだ。

 

日常ヴァンパイア

 

 

 

 

月白貉