ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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死神フューチャー

いろんなことがありすぎて、体が疲れすぎているこの数日。

 

自分がこんなに体力がなかったかと思うことは少ない、そんなことはないはずなのに。

 

方丈さんが肉体と精神の話をしていた。横たわった祖母の顔を見たとき、方丈さん、すごい素敵な笑顔だった。

 

この人はすごいなあって、そのとき思った。

 

生きているって、いったいなんだろう。

 

自分が肉体として生きている時間っていうのは、自分が存在している時間の一部に過ぎないのか、あるいは、それが自分が存在している時間のすべてなんだろうか。

 

きのうの早朝、祖母が亡くなった。

 

朝の五時に携帯電話がなり、目覚ましをかけ違えたのかと思ったら、実家の父からの電話だった。その二日前に、ぼくはちょっとした用事があり実家を訪れていた。

 

ほんの一週間前から体調が大きく崩れたらしく、もうほとんど言葉も発せなくなっている祖母が、畳の上に置かれた真新しい折りたたみ式のベットに横たわっていた。ぼくの姿を見た祖母は必死で起き上がり、手を合わせて拝むみたいにしてぼくの方を向き、どこか違う空間から響いてくるような声でこう言った。

 

「最後にあえてよかった。」

 

そしてまた眠りについてしまった。

 

ぼくはその時、言葉には出さなかったけれど、たぶん最後なんだろうなと感じた。声を聞けば、そういうのはわかる。

 

嘘なのか本当なのか、最後なのか最後じゃないのか。

 

そしてそれが、過去なのか未来なのかも。

 

死神フューチャー

 

 

 

 

月白貉