ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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豆苗は何日目に蘇るのか? - 第四日目『不安』 -

家の中に日々変化するものがあると、ついつい目を、そして心をも奪われてしまう。

 

例えばそれは思いがけずもらってきた花だったり、部屋の片隅の観葉植物だったり、若芽を刈り取られた豆苗だったりする。

 

根から切り離されてしまった花は、花瓶に入れておいても長くは生きられない。早々に死をむかえる。そんな凝縮された花の命の、日々刻々と変化を遂げてゆくさまがうかがえるのは興味深いが、花はその時、いったいどんな思いなのだろうかと、気がかりで仕方がなくなる。

 

もし苦しんでいたのなら、なんて酷いことなんだろうとも思ってしまう。

 

観葉植物に関しても同じく、あんな小さな鉢に植えられて人間の部屋の中で暮らすことに、いったいどんな思いを持っているのだろう。

 

植物にも他の生物と同じように感情が存在すると聞く。

 

植物も笑ったり泣いたり怒ったりするのならば、いま観察している豆苗は、どんな思いなのだろうか。

 

第四日目、豆苗が蘇りはじめた。先導する若芽の教えに従い、後続の若芽たちが一斉に空を認識し出したのだろうか。もしあの一本の若芽がいなかったら、他の者たちは空を見上げることもなく、ただ地べたに寝転んでいただろうか。今となってはそれは知る由もないが、豆苗は蘇り始めた。しかし、完全に蘇った豆苗は、どこに向かうのだろうか。あるいは完全に蘇った豆苗が新たな力を携えていて、無知で愚かな人間に対抗できうる新たな力を携えていて、身勝手で傲慢な人間に牙をむくのではないのか。そんな不安さえ覚えるほどに豆苗は劇的な変化を遂げだしている。確実に蘇りの日は近付いているのだ。

 

2016年5月13日 月白貉 記

 

豆苗は何日目に蘇るのか? - 第四日目『不安』 -

 

お題「マイブーム」

 

 

 

 

 

月白貉