ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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マワラ(馬笑) - 『新日本妖怪事典』 -

島根県松江市松江城内には馬洗池(まわらいけ)という場所がある。

 

昔、雲州松江藩の時代、馬の体をこの池で洗ったことに由来する名前だと言われるが、この場所にまつわる怪異の話も残っている。

 

ある時、城内警護役の男が夜半の見回りの最中、背後にふと気配を感じてその方に目を向けてみると、馬の蹄のような音が暗闇の中から聞こえてくる。このような時間に何事かと思って不審に思った男が目を凝らしてみると、そこに見たものは首のない馬の姿であった。

 

男が肝を潰して立ち尽くしていると、その馬は城の裏手の方へ向けてゆっくりと駆けてゆき、暗闇の中へ姿を消してしまった。

 

しばらくその場で金縛りのように動けなくなっていた男であったが、怖ろしいのを横へ押しのけ馬の後を追いかけると、先ほどの首のない馬が城の裏手にある小さな池の中央でバシャバシャと足踏みをしている。

 

すると突然、池の水の中から今度は馬の首だけがゆっくりと浮かび上がってきて男の方へ目をギョロッと向け、「ケタケタケタ」と人のように笑い出したという。

 

また他にも、この池の周囲では馬の首が宙を飛び回るとか、馬のような面をした異形の者が出て笑い声をあげるという話もある。

 

そのため、この池のことを「馬笑池(マワライケ)」とか「魔笑池(マワライケ)」と呼ぶようになったと言われていて、馬洗池の由来ともされている。

 

また池に出る妖怪は同じく「マワラ(馬笑)」あるいは「魔笑(マワラ)」と呼ばれたという。

 

日本各地に伝わる馬の怪異として「首切れ馬(クビキレウマ)」あるいは「首なし馬(クビナシウマ)」というものがある。

 

これは名前の通り首のない馬であり、「縄筋(なわすじ)」や四辻に出るとされている。縄筋というのは日本の民間信仰のひとつで、化け物や魔のものが通るとされる道のことである。岡山県で「ナメラスジ」と言われるものもこれにあたる。

 

この首切れ馬には神が乗っているともされており、また馬の首だけが「抜け首(ヌケクビ)」のように宙を飛び回ったり、時には人に噛みつくことがあるという。

 

松江城下でも、塩見縄手と呼ばれる武家屋敷の並ぶ一直線の路を、各季節の始まりの日の前日、いわゆる立春立夏立秋立冬の前日にマワラが駆け抜けるという話もある。

 

この首切れ馬に似た怪異は海外にも存在していて、例えばアイルランドには「デュラハン」という首のない男の妖精の言い伝えがあり、このデュラハンはコシュタ・バワーという首のない馬が引く馬車に乗っている。ちなみにコシュタ・バワーは水の上を渡ることが出来ないためデュラハンに出会っても川を渡れば逃げきれるという。

 

日本でもよく知られている「スリーピー・ホロウ」の話は、このデュラハンと同様のものである。

 

マワラの正体はよくわかっていないが、おそらくはその地で死んだ馬の霊が、首のない馬あるいは首だけの馬として姿を現したものだとされている。一説によれば日本刀の試し切りに使われた馬の霊だとする話もあるが、日本では動物を試し切りに使ったとする記録は正式には残っていない。余談だが、江戸時代以前は人体を用いた試し切りの記録があり、また江戸期も罪人の死体を試し切りに用いていたという記録は残っている。ヨーロッパでは動物を試し切りに用いていた歴史があるそうだが、あるいは日本でも更に古い時代には行われていた時期があったのかもしれない。

 

また馬面の異形の者という話だが、これは「馬神(ウマガミ)」あるいは「馬憑き(ウマツキ)」の類ではないかとの話もあるが、こちらも正体はよくわかっていない。

 

馬憑きは三州(現在の愛知県三河地方)などに言い伝えのある怪異で、馬を粗末に扱った者に馬の霊が憑いて祟りをなすというものである。馬憑きに憑かれると馬のような形相になって精神に異常をきたし、最後には死ぬと言われている。

 

いずれにせよ、人間以外の動物には、人間には及び得ない、あるいは人間が失ってしまった特殊な領域があるのだろう。

 

マワラ(馬笑) - 『新日本妖怪事典』 -

 

 

 

 

 

 

 月白貉