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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

ワンブチヌシ(蜿淵主) - 『新日本妖怪事典』 -

出雲地方の山中に深い淵があって、そこには「ワンブチヌシ(蜿淵主)」というものがいる。

 

あるとき、ひとりの農民が馬を引いて淵の前を通りかかった時、淵の中に腰まで浸かった老婆がこちらを向いて「助けてくれ助けてくれ」と言って手をこすり合わせて拝んでいる。

 

あのような老婆がなぜ山の中の淵に浸かっているのだと不審に思ったが、まずは助けに行かねばなるまいとして馬の手綱を淵の端の樹に括りつけてから振り返ると、そこには老婆の姿はなく、代わりに人の何倍もあろうかという大きな蛇か蜥蜴のようなものが淵から這い上がってくるのが見えた。

 

農民は肝をつぶして馬を置いたまま一目散に山を駆け下り、すぐに村の数人の男衆に声をかけ、彼らを連れて恐る恐る淵に戻ってみると、そこには馬の姿はなく、手綱だけが淵の岸辺で波に揺られていて、どうやら馬は淵の主に引き込まれてしまったのだろうということになった。

 

その数日後、淵に浸かっていた老婆が農民の家に現れて、「この石を枯れた井戸に放り込め」といって土間に柿の実ほどの大きさの石を置くと、すぐに戸口を出ていって姿を消してしまった。言われたとおりに農民がその石を枯れた井戸に放り込んで数日、井戸の底から溢れるように水が湧き出し、以後なみなみと水をたたえて枯れることがなかったという。(黒酒宙『淵神信仰』)

 

水辺の老婆が人を足止めする件は、同地方に伝わる「濡れ女」と「牛鬼」の怪異にも共通点が見られるが、生け贄の馬の代わりに村の枯れた井戸の水を復活させるという話から、このワンブチヌシはおそらく淵を守る水神の類であろう。老婆がワンブチヌシ自身なのか、あるいはワンブチヌシの眷属のような存在なのかは不明であるが、同地方には「淵婆(フチババア)」という怪異の話も伝わっている。

 

濡れ女と牛鬼については以下に記しているので、ご参考までに。 

 

ワンブチヌシの名前にある「蜿」というのは、蛇や龍が長い体をうねらせながら進む様子を意味する言葉で、蜿蜒(えんえん)などという言葉にも使われている。

 

ちなみに蜿蜒の「蜒(えん)」とは、同じく長くうねる様を意味する言葉であるが、直接的に蜒蚰(なめくじ)、祝蜒(やもり)、蚰蜒(げじ)などのことも意味する。そう考えると蜿蜒という言葉はなんとも化け物じみた言葉である。

 

昔からこの淵では雨乞いの儀式を行っていて、その際に穀物を入れた椀を淵に浮かべて神に捧げたことから、もともとは「椀淵」という字を使っていたという話もある。また別の話では「わにぶち(鰐淵)」がなまって「わんぶち」になったとも言われる。

 

同地方には「鰐淵寺(がくえんじ)」という天台宗の寺院があり、見ての通り鰐淵という文字が使われている。

 

鰐淵寺は、信濃の智春上人が推古天皇の眼の疾病を癒やすため、当地の浮浪の滝に祈ったところ平癒したことから、同天皇勅願寺として建立されたという。名の由来はと言えば、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている際に、誤って仏器を滝壺に落としてしまったところ、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたことから「浮浪山鰐淵寺」と称するようになったという。

 

出雲地方で鰐というのは主に魚類の鮫を指す言葉である。

 

山陰地方の「ワニ」に関しては以下に記しているので、ご参考までに。

 

山中の滝壺に鮫がいるというのはどうにも不思議な話であるが、滝壺の底が海とつながっていて、時折海から鮫があがってきたという話も伝わっている。

 

あるいはこの鰐というのはワンブチヌシと同じ蛇か龍のような姿をした妖怪を指していて、この地方で言うところの鰐とはまた別の、なにか妖怪めいたものなのかもしれない。

 

ワンブチヌシ(蜿淵主) - 『新日本妖怪事典』 -

 

 

 

 

  

 

 月白貉