ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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アカヤツデ(赤八手)【其の壱】 - 『新日本妖怪事典』 -

昔、出雲国伯耆国の二つの大きな入り海(現在の中海と宍道湖)には「アカヤツデ」という妖怪が出たと言われている。

 

霧の出た朝に舟を出して網を打っていると、向こうの霧の中からぼんやりとした大きな影がこちらに近付いてくる。他の者が舟を走らせているのかと思って声をかけると、大きな水音がしてその影は消えてしまった。 - 中略 - 宍道湖の漁師は、霧の濃い日には「赤八手」が出ると言って漁に出ることを嫌うという。- (黒酒宙『山陰の海村怪異考』) -

 

夕暮れ時に漁を終えて岸に向かって舟を走らせている時に、背後に何かの気配を感じて振り返ると、一丈はあろうかという赤黒い色をした蛸の頭のようなものが舟に張り付くようにして音もなく後をつけてきていた。肝をつぶした漁師は必死で岸までたどりつくと、獲ってきた魚を舟にそのままにして一目散に家まで逃げ帰った。次の日になって魚を取りに舟まで行ってみると、魚はなくなっていた。- (浦島一郎『中国地方の海と妖怪』) -

 

「アカヤツデ」は基本的には害のないもので、霧中や夕暮れ時、あるいは夜間のような視界の悪い状況下の入り海上で巨大な影のような姿を現すが、何もせずにまたすぐに姿を消してしまう。 

 

獲った魚を舟にのせている時には後をついてくることがあるが、魚を一匹でもアカヤツデの方に向かって投げれば姿を消すという。

 

入り海の漁師たちの間では「カゲヤツデ(影八手)」とか「クロヤツデ(黒八手)」あるいは「イリウミヌシ(入海主)」とも呼ばれ、それぞれふたつの入り海(中海と宍道湖)を守護している主(ぬし)が時折に姿を現すものだとされている。一説にはその主は巨大な蛸だとする話もあり、周辺の地域では海神あるいは漁神だとして神聖視する傾向も見られる。

 

アカヤツデ(赤八手)【其の壱】 - 『新日本妖怪事典』 -

 

同じ山陰地方には「ウミボウズ(海坊主)」という一部言い伝えの酷似した妖怪も伝えられている。

 

夜に浜辺などを歩いていると海上にどこからともなく影のように黒い塊が現れて、ヌルヌルとした身体をこすりつけてきて、人間を海の中に引きずり込もうとする。これをウミボウズという。

 

このウミボウズは山陰地方だけではなく全国的に言い伝えの見られる海の怪異で、他にも様々なケースがあり、例えば海上で美女に化けて泳ぎの競争をせがんだり、「杓を貸せ!」と言って海中から現れ、杓を貸してしまうとその杓で舟に水をかけてきたり、巨大な入道のような姿で暴れ狂って波を起こし舟を沈ませたりする。

 

お盆の時期に海に入って遊んだり、あるいは漁をしたりする際に起こる凶事のことをウミボウズという地域もあるが、これはお盆の時期には海から死んだ者の霊が上がってくると言われる俗信に基づくもので、ここで言うウミボウズとはまた別の怪異だという。

 

ある地域の漁師は「ナメイヲ」という魚を獲ることを嫌い、これを「ナブカ」とかウミボウズとか呼んでいるという話もある。

 

千葉幹夫編纂の『全国妖怪事典』にも様々な文献を出典として全国のウミボウズの話が数多く記されているのでいくつか紹介すると、

 

大阪府 南部の海にでる。総身黒く、漆のようで大きく、磯近くを歩く。この時は子供は外に出さない。三日ばかりで海へ帰るが、半身海上に現れて立っていく。後ろ姿しか見えないので顔はわからないという。- (大朏東華『斎諧俗談』五) -

 

鹿児島県 志布志。夏の夜釣りを楽しんでいると、有明湾に一万トンもあろうかという黒船が現れた。黒煙をもうもうとあげて速度も落とさずに、目の前の砂浜につっこんだ。驚いて帰宅しようと道具をまとめると、大入道が真上から見おろしていたという。- (山下弥三左衛門『潜水奇談』) -

 

この大阪府鹿児島県でのウミボウズの話はおもしろく、特に鹿児島県のものは黒船が砂浜に突っ込んでくるという非常に珍しいケースである。

 

このウミボウズの言い伝えとアカヤツデを比較してみると、巨大な影という話はウミボウズと同様の怪異で、アカヤツデというのは入り海周辺地域でのウミボウズの別称だとも考えられる。

 

しかしウミボウズが多くの場合において人間に害を成すことに対して、アカヤツデが人間に害を成すという話はほとんど伝わっておらず、逆に守り神だとする言い伝えが見られることから、別のものだとされている。

 

宍道湖の西の湖中に、「ヤツデノイワミヤ(八手岩宮)」と呼ばれる中央に穴の空いた巨大な手水鉢のような大岩が沈んでいて、そこは湖の主の住処だとされている。 - 中略 - 岩の真上を舟で通ると主(ぬし)に水中に引き込まれたり、魚がまったく獲れなくなったりする。そのため漁師たちはこの岩のある場所には決して近付かない。 - 中略 - 漁師たちは湖岸で拾ってきた小さな石に穴を開けたものを「ヤツデ石」と呼んで、漁の際に携帯したり舟に乗せたりしている。また漁がうまくいかない時にはこのヤツデ石を水中に投げ込むと魚が獲れるようになるという。- (黒酒宙『山陰の海村妖怪考』) -

 

このアカヤツデという名の由来であるが、姿が「蛸」のようだということから、赤くて八本の手があるものとしてアカヤツデ(赤八手)と呼ぶという話や、植物の「ヤツデ」に由来するという話がある。

 

ヤツデというのは関東以西の海岸近くの森林周辺に自生する独特の葉の形をした植物である。ちなみに名前にはヤツデ(八つ手)とあるが、葉が裂ける数は七つか九つであり、八つに裂けることはない。

 

なぜこの妖怪の名前が植物のヤツデに由来するのかは不明である。

 

このヤツデの別名は「天狗の羽団扇」とも言われる。山伏の恰好をして赤い肌を持つ有名な妖怪「天狗」が、ヤツデの葉の形をした団扇、あるいはヤツデ自体を手に持っている絵をよく見かけることがある。このヤツデの葉には魔ものを払う力があると言われているので、アカヤツデの由来に何か関係があるのかもしれない。

 

また山陰地方の山間部には「タコテング(蛸天狗)」という妖怪の言い伝えがあり、山間部にありながら蛸という名前のついた謎の多い妖怪である。

 

天狗の持つヤツデの団扇、一説には巨大な蛸だとされているアカヤツデ、そしてこの山間部のタコテング、この三点に線を引いてゆけばあるいは関連性が見いだせるのかもしれないが、現時点では情報不足のため言及は控えることにする。

 

最後に、「誰も知らない新たな妖怪を求めて」というコンセプトのもとにはじめたこの『新日本妖怪事典』、まずは身近な島根県を中心に妖怪を蒐集してゆこうと思っている。

 

アカヤツデに関してはもうひとつの別形態が存在していて、同地域の松江藩で語られているものに興味深い話がある。そのため今回を其の壱とさせていただき、松江藩での話は其の弐に見送りたい。

 

少しだけ触れておくと、松江藩のものも中海と宍道湖でのアカヤツデとほぼ同様の妖怪なのであるが、一方で神として崇められていたアカヤツデが、松江藩の城下では怖ろしい怪異と化してい人々を恐怖に陥れている。人間に祀られなくなった神が妖怪化するという話があるが・・・それは次回に続かせていただこう。

 

 

 

 

  

 

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