ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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謎の妖怪「サメ」を追え! 島根県隠岐郡都万村に伝わる動物怪異考 -「サメ」- 第四回

島根県隠岐郡都万村に伝わるサメという謎の妖怪の考察、第四回である。 

※妖怪としてのサメは、魚類やその他の語句としてのサメと区別して赤字で「サメ」と表記する。

 

回を増しているので、ここで改めてこの『謎の妖怪「サメ」を追え! 島根県隠岐郡都万村に伝わる動物怪異考 -「サメ」-』についての概要を説明しておこう。

 

事の発端は、千葉幹夫の編纂による「全国妖怪事典」、この本の島根県の妖怪の項目に以下の様なことが記されている。

 

サメ 動物の怪。隠岐の都万村でいう。山奥にこの名の獣がいる。見た者はいないが、みなそれらしい気配を感じて逃げ帰るという(郷土生活研究所編『沿海手帖』)。

 

この出典元、『沿海手帖』にあるサメとはいかなる妖怪なのか?という疑問を抱いたぼくが、サメに関しての誠に勝手な考察を展開しているのが、この言わば「謎サメ」シリーズである。

 

謎サメと言っても、かのディスクシステムの名作ゲーム『謎の村雨城』の略称ではないので、あしからず。

 

 

前回までのあらすじであるが、魚類のサメという名称からの筋で考察を進めたところ、山奥に住む獣である鹿と猪と犬が導き出されてきた。

 

もっと詳しく知りたいという方は、以下をお読みいただきたい。

 

 

さて、鹿と猪と犬、そして妖怪というキーワードからまず思い浮かぶのは、宮﨑駿の超大作アニメーション『もののけ姫』である。

 

余談であるが、ぼくが大学で映画を学んでいた頃、ぼくの所属するたかだか十数人ほどのクラスの講師として宮﨑駿が抜擢されたことがあった。しかし当時『もののけ姫』の製作真っ只中だった宮﨑駿にオファーを断られ、その代わりに高畑勲が講師としてやって来ていた。ぼくは当時あまりアニメーションの制作に興味がなかったため、高畑さんの授業には一度も顔を出したことがなかった・・・なんてもったいないことをしたのか・・・。

 

当時、同じクラスの生徒のたまり場になっていた小さな休憩所、六人ほどが座れる向かい合わせの小さなソファーで友だちと下らない話をしていると、授業を終えた高畑さんがとなりにやって来て、タバコを吸いながら同じクラスの熱心な女の子とアニメーションの話をしているのをよく見かけた。 授業こそ受けてはいなかったが、ぼくは時々、その話を横で何気なしに聞いていた。なかなか興味深い話が多かったように記憶しているが、いまでは断片しか思い出せない。

 

というわけで、話を戻そう。

 

もののけ姫』に話を移す前に、前回触れていなかった「犬」について、鹿や猪と同様に魚類のサメとの接点も探りながら少しだけ触れておきたい。

 

サメとの接点であった「ルカン」の語源からはやや離れてしまうが、犬という和名の由来については諸説ある。

 

『日本釈名』では主人から引き離してもすぐにもとへ帰ることから「いぬる」の意味だとしているし、『東雅』ではイが家をあらわし、ヌは助詞だとしており、家畜であることによるものだとしている。他にも『和訓栞』では「家に寝る」の意味だとしている。また『大言海』ではイヌとは「行き畢(ぬ)る」の略で、往き去る、立ち去るといった意味だとしており、この獣が古くは魔ものをはらうとされていたことによるとしている。

 

漢字学者の白川静によれば、中国で「献」や「哭」などのように犠牲に関わる字に犬扁のものが多いのは、犬が雨乞いや結界の設定、また邪気払いなど各種の古代祭祀に欠かせない獣だったからだとしている。また古代日本の陰陽師は、犬を地厭(ちえん)として重んじ、その肉を食べることは禁忌とされていたという。地厭とは地の邪気を払うものという意味である。このことは前述の『大言海』での説を裏付けるようにも思える。

 

新編大言海

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言海 (ちくま学芸文庫)

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再び中国の話になるが、中国には天狗あるいは偸生(とうせい)という子どもをさらう悪霊がいると信じられている。

 

これは未婚のまま死んだ娘の魂だといわれていて、新生児を彼岸に連れ去り、かわりに自分が現世に生まれ出ようとしているものだとされている。これを防ぐために中国では子どもが生まれると、その子の産毛と犬の毛を混ぜた「狗毛符」という毛玉を作り、これを産着に縫い付けて魔除けとし、また子どもに動物の名前を付けたり、子どもの頭に「狗圏」という銀色の輪や帯を着けることによって、人間の子どもではなく犬の子どもだとして悪霊を寄せ付けない工夫を行ったりしていた。

 

このような故事から日本でも犬には魔を払う力があると信じられていて、子どもが初めて外出する際には、額に紅や墨で犬の字を書いて魔除けとしたり、また母親が「いんのこ、いんのこ」と口ずさんで子どもをあやしたりした。「いんのこ」とはつまり犬の子ということである。この由来には前述した中国の故事の影響も大いにあるのだが、他にも犬という漢字自体が強力な魔除である「籠目」や「安倍晴明判」(例の五芒星のアレである)に似ているからとする説もある。

 

このような話からすれば、中国や日本では、犬はどちらかと言えば妖怪や魔物ではなく、それに対抗するものの側に立っているわけである。

 

ちなみに現代において、家の玄関先に門票として「犬」と書かれたシールを大量に貼り付けているのを時々見かけるが、あれはもしかしたら魔除けとして貼っているのではないだろうか。

 

謎の妖怪「サメ」を追え! 島根県隠岐郡都万村に伝わる動物怪異考 -「サメ」- 第四回

 

一方キリスト教では、英語の「GOD」を逆さに読むと「DOG」になることから、犬は悪魔や異教の象徴とされている。

 

また西洋の船乗りたちは、犬が船乗りの守護神である猫に敵対するという俗信から犬という言葉を忌み嫌い、航海に犬を連れて行くのをタブーとしている。また古代ユダヤヒンズー教イスラム教でも犬は不浄な動物だとして忌み嫌われる傾向にある。

 

東洋での犬はどちらかと言えば神聖な獣であって、妖怪であるサメに繋がる接点はないようにも見えるが、魚類のサメの語源としての犬、つまりフランス語のルカンの語源にあたる犬は西洋の言葉であり、あるいは何か邪悪なものとしての犬に繋がってくるような側面も考えられる。

 

現時点では、犬と魚類のサメとの接点を見つけることはほぼ出来なかったのであるが、最後にひとつだけ、

 

これはプリニウスの『博物誌』に記述があるとされている事柄だが、ナイル川流域では犬に川の水を飲み干させてワニによる害を防いでいたという話があるらしい。

 

これは偶然の一致に依るものかもしれないが、犬と鰐と鮫の交差点として片隅に置いておくことにする。

 

さて、犬の話が長くなってしまったので、今回は『もののけ姫』までたどり着かずにこのあたりでお開きとするが、次回は『もののけ姫』的世界観からさらに考察を広げて、遠野物語アイヌの狩猟儀礼、そこからさらに出雲地方における山の神の信仰と狩猟儀礼にまで落とし込んでゆきたいと思っている。

 

大風呂敷を広げまくっているが、果たしてサメの正体に迫ることが出来るのだろうか・・・では次回へ続く。

 

 

 

 

 

  

 

 月白貉