ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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謎の妖怪「サメ」を追え! 島根県隠岐郡都万村に伝わる動物怪異考 -「サメ」- 第一回

千葉幹夫編纂の『全国妖怪事典』、島根県の妖怪の項目には「サメ」という動物の怪異のことが記されている。

 

全国妖怪事典 (講談社学術文庫)

全国妖怪事典 (講談社学術文庫)

 

 

以下の様な内容である。

 

動物の怪。隠岐の都万村でいう。山奥にこの名の獣がいる。見た者はいないが、みなそれらしい気配を感じて逃げ帰るという(郷土生活研究所編『沿海手帖』)。

 

というわけで、この出典になっている『沿海手帖』なる文献のことを調べてみた。

 

この話の出典となっている『沿海手帖』とは、柳田國男が指導する郷土生活研究所が日本学術振興会の援助を得て行った「山村調査」の沿海地方版にあたるもので、調査にあたり『郷土生活研究採取手帖』というものが各年度ごとに用意され、ここに記されている百の質問項目を中心に、現地での村人からの聞き取りにより採集調査が行われたものである。まあ今で言うところのフィールドワークノートであろう。

 

「山村調査」に関しては昭和九年五月から昭和十二年四月にいたる三年間に、北海道と沖縄県を除く当時の全府県、計六十六ヶ村におよんだという。

 

そして後に『郷土生活研究採取手帖』における沿海地方版として「沿海手帖」なるものが登場してくるわけである。また各調査者が全国で一斉に調査したその成果は、柳田國男の編纂によって『山村生活の研究』(昭和十二年)および『海村生活の研究』(昭和二十四年)として刊行されている。

 

山村生活の研究 (1937年)

山村生活の研究 (1937年)

 
海村生活の研究 (1949年)

海村生活の研究 (1949年)

 

 

さてでは、この『沿海手帖』によって収集された「島根県隠岐郡都万村」のものに目を通せば「サメ」という怪異の聞き取りがあるいはもっと詳細に記されているのではないのかと思うのだが、これは成城大学の柳田文庫にだけ所蔵されているらしく、今のぼくのいる場所からはずいぶんと遠方にあたるため、おいそれと目を通すことは叶わないわけである。

 

いろいろ調べてみると、「サメ」とはまた別の怪異のことで、『沿海手帖』の中にある「島根県隠岐郡都万村」の話がインターネット上には掲載されていて、それは大島正隆という人物が隠岐の都万村で調査した怪異の記録らしいというところまではたどり着いたのだが、「サメ」に関しては今のところ『全国妖怪事典』のみでしか探しだすことが出来ていない。

 

ちなみに「山村調査」の際の『郷土生活研究採取手帖』の質問項目には一通り目を通したのだが、その中に以下のような質問があった。

 

何か恐ろしい響がしたとか、大きな声を聴いたというような話がありますか。光りものを見たと云う話はありませんか。その他妖怪、変化の話はありませんか。

 

おそらく「サメ」の話はこの質問の際に飛び出してきたのではないだろうか。

 

一方、『沿海手帖』を元に柳田國男が編纂した『海村生活の研究』に関しては、近隣の図書館でも気軽に閲覧できるようなのであるが、そこに「サメ」の記述があるかどうかについてはまだ未検証である。

 

というわけで、まあ原典をあたってみても出てくる情報量はたかが知れているのじゃないかと思ったぼくは、ひとまず『全国妖怪事典』からの非常に少ない情報を元に、今回から数回にわたって、この「サメ」と呼ばれる謎の怪異についての考察を行ってみたい。

 

まず今回は序章として控えめにお開きとするが、ひとつ次回に向けての予告としてある話を上げておこう。

 

本草綱目』に記されている魚類であるサメの種類の中には、「鹿沙」あるいは「白沙」というものがおり、そのサメには背に丸い文様があり鹿の文様に似ている。そして鹿沙は、実際に鹿に変化する、と書かれている。

 

By Jean-Lou Justine (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

というわけで、次回へ続く。

 

 

 

 

 

  

 

 月白貉