ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

「ストツー」的タバコのポイ捨て改善方法

こんな田舎でも、吸い終えたタバコを排水口に捨てている人をよく見かける。

 

大抵は中年以降の男性で、スーツを着ている偉そうな輩が圧倒的に多い。けっして偏見ではなく、目の当たりにしているから。

 

そして、つい先日は某国役所勤めの職員だと明らかにわかるIDカードを首からぶらぶら下げて、部下になんやかんや偉そうなことをだべりながら歩きタバコを吸い、そのまま排水口に捨てている奴も見かけた、もうそんなの、奴でいい。

 

バカじゃなかろうかと思う、いやバカかと。

 

たかが一本のタバコを排水口に捨てたところで、別に誰にも迷惑はかからないし、どうにもなりやしない、みんな捨てているから。どうせ雨が降れば水に流されるし、定期的に来る掃除夫が掃除して結局はなくなるのだから、べつにどうってことはない、どこに捨てようと一緒だ。

 

そうやって365日毎日毎日、タバコの吸い殻を排水口に捨てているんだと思う。

 

ただ実際にはたぶん、そんなことすらも考えてはいない。何も考えてはいない、絶対に。

 

例えば一人がそういう行為を繰り返せば、一日一本のタバコを捨てたとして年間365本のタバコがそこにたまるわけだ。もし同じ場所に同じような種類の人間が例えば10人いたとしよう。そうすると、同じ排水口の穴の下に一年間に3650本のタバコの吸殻がたまるわけだ。 100人いたら36500本になるわけだ。

 

そして、そういう意識を持つ人間の行動は、タバコを捨てるにとどまってはいないと思うんだよ。もっともっとひどいことも平気でやっているはずだ。

 

極論を言ってしまえば、そういう人々が世界崩壊の一端を担っている、一端どころじゃないと思うけどね、たぶん。

 

こんどそんな光景を見かけたら、「恥を知り給え!」と言って、捨てたタバコをもう一度口にくわえさせて、竜巻旋風脚からの踵落としで頭ごと排水口に沈めてやろうと密かに思っている、今日このごろである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月白貉