ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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神山

小学二年生の頃から学校を休みがちになったぼくには、当時友だちと呼べるような存在はほとんどいないに等しかった。

 

時々学校に登校しても、クラスの同級生とはほとんど話さなかったし、休み時間にも自分の席でひとり本を読んだり窓の外の空を眺めたりしていた。

 

ぼくが一・二年生の時のクラスの担任は、教師になりたての若い男の先生で、学校の他の先生に比べるとちょっと独特の教育方針を持っていた。

 

先生はいつもギターを背中に抱えていて授業の際には事あるごとにギターをかき鳴らしながら話をしたり、教室内に巨大なプランターを持ち込んで生徒たちに野菜を育てさせ給食の彩りに加えたり、自分の結婚式の際にはクラス内の希望者を募って特別ゲストとして参加させたりと、他のクラスではまったくありえないようなことを考えだして、それを自分のクラスで実行していた。

 

先生は山川誠という名前だった。

 

山川先生は、そういう独特の教育スタイルを特に学校側に許可を得て行っているわけではなかったため、学校側からはずいぶんと注意や非難を受けていたようだった。それでも先生は、自分のスタイルを変えることはなかった。

 

先生はぼくが登校拒否だということに対して、何度か母と面談を繰り返していたようだったが、特に母やぼくを非難するようなことはなく、無理矢理に登校させようとすることもなかった。ぼくはまだ幼かったため、一体何で学校に行くのが嫌なのかということを自分の言葉で説明できるような力を持っていなかったが、先生はぼくの状態に対してずいぶんと理解を持ってくれていた。

 

「まあマサヒコが来たくないんだったら仕方がないさ、おれも学校はなんだか嫌いだったしさ、来たいと思うことがあったら来たらいいよ。お母さんにもそう言っておいたから。なんか大切なことがあるときには、先生お前の家に遊びに行くし、簡単なお知らせなら、お前のガールフレンドが届けてくれるだろ。」

 

山川先生はそう言ってニヤリと笑った。

 

「えっ、ガールフレンドなんかいません!」

 

「神山だよ、お前の隣の席の神山緑、ガールフレンドだろ。」

 

「違います、カンマは近所だから。」

 

「神山のアダ名はカンマっていうのか、へ〜はじめて聞いたな、まあいいや、神山がいろいろ届けてくれてるし助かるよ、まあしばらくはそれでいいだろ、なっ。」

 

「はい、ガールフレンドじゃないけど。」

 

学校で話をするのは、近所に住む幼なじみのカンマとだけだった。

 

ふたりが同じ幼稚園を卒園して小学生になってからも、よくお互いの家に遊びにゆくことがあったし、何となく気心が知れていたカンマになら何の気遣いもなく話をすることが出来た。ぼくとカンマのそんな関係は、彼女が親の仕事の関係で東京に引っ越してしまう中学三年生の頃までずっと続いていた。

 

小学校の高学年になる頃には、お互いの家に遊びにゆくだけではなく、学校帰りに公園で座って話をしたり、一緒に駄菓子屋にお菓子を買いに行ったりするようなこともあったが、こと小学生の頃には、異性と二人きりで遊んでいる男子はめったにいなかったし、ましてぼくはその頃になっても週の半分も学校に顔を見せないような状態だったから、同級生の男子たちからは時々からかわれたりすることもあった。ぼくはそのことがずいぶんと嫌で、お互いの家以外では出来るだけ人目につかないような場所を選んでカンマと会うようにしていたのだけれど、ずいぶんと大人びていた彼女はまったく気にはかけていない様子だった。

 

「マサ、あんなの別に気にしなくていいよ、あいつらバカなんだよ。」

 

そう言って、カンマはいつも一瞬だけ右眉を吊り上げてから、声には出さずに「バ~カ」とつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

月白貉