優先席
ウィークデイの昼過ぎ、空いている列車に乗り込み、ふと車内を眺めると、座席にはまばらに人が座っているほど。
灰色のシートに包まれた優先席には誰も座っていない。
だから、優先席に座ってみる。
誰も座っていないのだから、気兼ねなく、ただ少し気兼ねをして座ってみる。いつ、優先せねばならぬ人が乗ってくるのかと、気が気ではない。気兼ねなくとは言ってみたものの、少しの気兼ねをしてとは思ってみたものの、気が気ではない。
だったら、座らなければよかろうと思い立ち、すぐさま立ち上がって、ガラガラの列車のドア脇のポールの当たりに体を落ち着ける。
優先席は、いまは遠い異国の駅の待合室のように、ひっそりとしている。
窓からは、長方形の日差しが幾筋か、その緩いカーブを描いた灰色の表面に差し込んでいる。
優先すべき人の影は、いまだ見当たらない。
でも、そのくらいがよかろう、そして優先すべき人が乗り込んでくる様を思い浮かべてみる。
なぜ、多くの人が、そんな容易いことができぬのだろうと、まことに不思議でならない。思いやりとは、空想の域である。想像の域である。そこに自らの血肉を注ぐ必要など微塵もない。自らの手足を切り落とす必要もなければ、腹をさばく必要もない。
ただ、思いをめぐらせればよい。
優先席には、まだ誰も座ってはいない。
誰も座っていない優先席が、ぼくの方をぼんやりと見つめている。
月白貉