ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ハチクマ

年末進行で慌しい会社の仕事をようやく終え、帰路を急ぐ12月28日の夜のこと。まだ仕事のことで頭がカリカリと音を立てているままの状態で、いつものように会社のある新宿御苑から新宿駅まで足早に歩いて向かっていると、新宿三丁目付近の薄暗い裏路地に立つ黄色い色をした雑居ビルの入り口から、クマの頭の形をした帽子を冠った女の子がこちらをじっと見つめている。

 

「はちみつの色は何色ですか?」

 

ぼくがそのビルの横を通り過ぎようとすると、女の子はぼくの目の前にぴょこんと飛び出してきて、一回くるっと体を回転させてからそうつぶやいた。手にはなにやら不思議な形をしたガラスのビンのようなものを持っていて、そのビンの中には黄金色をした半透明の液体のようなものが口までたっぷりと入っている。

 

「はちみつの色は?」

 

女の子は不思議な形のビンをこちらに差し出しながらもう一度、今度は少し楽しげな歌声のような声ではっきりとぼくに問いかけてきた。

 

「はちみつの色ですか?そうだなあ、ぼくの知っているはちみつの色は、たいていはそのビンに入っているような黄金色です。」

 

ぼくが少し戸惑いながらもその問いにこたえると、女の子はくすくすと笑いながら自分の人差し指をビンの口に差込み、黄金色をした半透明の液体をゆっくりとかき混ぜはじめた。

 

「目に見えるものがすべてではありませんよ、きみ。はちみつの色は、“はちみついろ”です、太古の昔からそう決まっています。はちみついろは、ぼくたちのようなクマとか、あるいはある種類のシカとかイノシシとかが、みつばちと相談して、その年ごとに決めているのです。」

 

クルクルとかき混ぜられている液体は徐々に色を失い透明になってゆき、その透明な液体が満たされたビンの中の空間を、小さな羽根を持った昆虫のようなものが数匹飛び交い始めた。

 

「くるくるくる、るるる、くるくる るるる。」

 

女の子が動物の鳴き声のような歌を歌い始めたので、ビンの中の出来事から女の子に視線を戻すと、女の子は小さな毛むくじゃらのクマになっていた。

 

目はくりくりとしていて真っ黒な水たまりのようで、口元は少しへの字になっていて悲しげだった。そしてもうぼくのわかるような言葉を発することはなかった。なにかずっとくるくると歌を歌いながら、ビンを持っていないもう片方の毛むくじゃらの手をぼくのほうに差し出した。その手のひらの肉球の上には、黄色いペンキのようなものでこう書かれていた。

 

『みつばちがいなくなっちゃうよ』

 

「みつばち・・・いなくなっちゃうのですか?」

 

ぼくがそのクマにたずねると、クマは突然ぐわ~っ!!と大きな雄叫びを上げて両手を天高く振り上げ、手に持っていたビンの中から透明な液体と昆虫が飛び出し、スローモーションのように宙に舞った。液体はそのまま蒸気のようになって空へと上って行き、数匹の昆虫はぼくの背後の道路わきにあった電信柱まで飛んでゆくと、その薄汚れた表面に弱々しく体をはりつかせた。そしてコリコリと音を立てながらその電信柱の表面に穴を開けだし、オケラが土の中にもぐる時のように電信柱の奥深くへともぐっていってしまった。

 

そしてぼくがふりかえると、クマはいなくなっていた。

 

再びぼくが電信柱に目を戻すと、昆虫たちがもぐっていった穴から、ひと筋の透明な液体が流れ落ちたが、すぐに乾いて、裏路地の真っ暗な空間の中に消えてしまった。ぼくが再び駅に向かおうと歩き出すと、前方の高いビルの上のライトアップされた広告枠に、さっきのあのクマと女の子にそっくりなクマと女の子が、並んでダンスを踊っている写真が浮かび上がっていた。

 

耳元で、かすかな昆虫の羽音が聞こえた。

 

 

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月白貉