ため息カナブン
道を歩いていると、歩道の真ん中でカナブンがひっくり返っていた。
手だか足だかわからないものを、バタバタと動かしながら、おなかを空に向けて、ゆりかごのようにゆれていた。
「ひっくりかえってしまったのだね。」
夏も、もう終わるのに、こんなところでひっくり返って、そのまま干からびて死んでしまうのはなんだか悲しいので、指でチョンとわき腹を押して、起きる手助けをした。カナブンは一瞬戸惑っていたが、ちょっとほっとしたようだった。
小さなため息が聞こえた。
「ぱふ。」
カナブンだって、こわかったり、さみしかったり、たのしかったりするのだとぼくは思う。
数日後、部屋で夕飯の支度をしていると、ベランダの方から、なにかカラカラキシキシ音がするような気がしたので、カーテンを少しだけ開けてのぞいてみると、カナブンがいた。
ひっくり返っていた。
夜だし、暗いし、姿ははっきりと見えないけれど、いつぞやの道で会ったカナブンかしらんと思った。
真っ暗な闇の中で、部屋からもれる薄明かりに半身だけ照らされ、おなかを上にしてゆらゆら揺れているカナブンは、ちょっと不気味なものに見えた。しばらく窓越しに、その姿をぼうっと眺めていたが、ひっくりかえったままはやはり悲しい心持がしたので、窓を開けてベランダにのり出し、暗がりで揺れるわき腹をチョンと押した。まわりが暗いこともあったのだろうが、カナブンはなかなか起き上がれない。ズリズリというヤスリで何かを削るみたいな音がするだけで、ひっくり返ったまま、遠くへ遠くへ離れていくばかりだ。わき腹を押し続けて何度目かに、カナブンはヘタリと起き上った。
気付くとぼくは、裸足のままベランダの端まで出ていた。
「もう暗いし、おうちへおかえりよ。」
カナブンはぼんやりと虚空を見つめたまま、何も言わない。
「もう窓を閉めるから。うちの網戸には、虫コナーズが付けてあるから、くっついてはいけないよ。」
ぼくは部屋に戻り、窓を閉めて、カーテンも閉めた。そして、その日はもう窓の外は見なかった。
翌朝、カーテンを開けてみると、網戸のてっぺんの虫コナーズの脇に、カナブンがしがみついていた。死んでいるのかと思い、声をかけると、カナブンはため息をついた。
「ぱふ。」
月白貉