ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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首都よりの赤い手紙

浦島さんの姿を見かけなくなって数ヶ月が経った頃、ぼく宛に分厚い封筒が届けられた。

 

簡易書留で届けられたその封筒を持ってきた郵便局員は、いままで一度も見たことのない色黒の若い男性だった。

 

ずいぶんレトロな自転車を玄関先に停めていて、おまけに赤い色のベレー帽をかぶっていた。

 

「はるか遠くからの郵便でございます、もしあなた様がよろしければ、受け取りをお願いできますでしょうか。」

 

通常より何かがおかしい言葉遣いと雰囲気にすこしだけ面食らったが、

 

「はい、わかりました。」

 

と受け取りにサインをして封筒を受け取った。サインを書き終えて伝票とボールペンを差し出しながらその郵便局員の顔に目を移すと、なぜか妙に安堵の笑みのようなものを浮かべていて、色黒なその肌が、透き通るように青白く見えた。

 

この地に暮らし始めて一年数ヶ月、郵便局を通じての届け物を届けにくる郵便局員は大抵はきまった数人に定まっていたので、すべて顔見知りの人物だった。

 

小さな地域の小さな郵便局だから当然のことだ。まあ新人として配属された人員なのかもしれないし、何かの都合で臨時に雇われているアルバイトのようなものなのかもしれない。けれどそこにはただ顔を知らないということだけにはとどまらない、なにか説明しがたい異様さみたいなものが漂っていた。

 

その郵便物は、ぼくの住所と名前が赤い文字で書かれたひどく汚れた白い封筒だった。

 

差出人の名前は書かれてはいない。郵便ポストの中に27年くらい放置されていたんじゃないだろうかと思うくらい、訳の分からない黄色や緑色や、そして時間のたった血の色のような汚れにまみれたぼろぼろの封筒だった。

 

差出人の名前は書かれていないのだが、ぼくの名前と住所が書かれた面の裏側には、手紙の導入部のような文章が、やはり赤い文字で書かれていた。

 

「やあ白酒さん、しばらくお会いしないうちにすいぶん顔色がよくなられたじゃあございませんか、真夏の海岸の砂浜に、無理矢理に首まで埋められでもして、顔だけ灼熱の太陽に焼かれたようにでも見受けられます、お元気そうでなによりなことです、わたくしです。」

 

まだ封筒を開ける前から、いま目の前で話しているような口調で、簡易辞書ほどはあろうかという分厚い手紙の冒頭は始まっていた。浦島さんからの手紙だということはすぐにわかった。

 

封筒の裏面の文章はこう続いていた。

 

「ついにあの存在が動き始めましたよ、白酒さん。やっかいなことに場所は東京です。さてさて愉快ですねえ、そして実にやっかい、腕も喉も鳴りますねえ。では、いまから数日後には崩壊する首都にて、感動を持って再会致しましょう。お待ち申し上げております。その詳細は封筒の中身にて、失礼。」

 

首都よりの赤い手紙

 

 

 

 

漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります

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月白貉